2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧

西大路通は平安京の野寺小路にほぼ重なるという。野寺小路は平安京の中心を南北に貫く朱雀大路から西に七つ目の通りである。が、その西半分はそもそも水捌けが悪く人の住まざる土地として長らく田畑や野っぱらであり続け、豊臣秀吉はこの通りのすぐ東を流れ…

東山蓮華王院、三十三間堂の南大門道を挟んだ東側に法住寺と養源院がある。車も通る二階のない平構えの南大門の片側に立つ築地塀は太閤塀と呼ばれている。これは道を北に上(あが)って七条通を越えた京都国立博物館の先にある方広寺の塀の名残りで、豊臣秀…

花筏(はないかだ)水に遅れて曲りけり ながさく清江。琵琶湖疏水の水は東からやって来て蹴上で分かれ、一方は南禅寺の中空を横切り、哲学の道が沿う流れとなって白川に注ぎ、もう一方は動物園、平安神宮一の鳥居の前を真っ直ぐ、ひと折れふた折れして鴨川に…

嵐山の方から渡月橋を渡り長辻通を北に下って、JR嵯峨野線の線路を越え、そのまま突き当たるところに嵯峨清凉寺がある。その元(もとい)は『源氏物語』の人物光源氏のモデルともいわれている嵯峨天皇皇子、左大臣源融(みなもとのとおる)の別業棲霞観(…

「武蔵国の御家人、熊谷の次郎直実(なおざね)は、平家追討のとき、所々の合戦に忠をいたし、名をあげしかば、武勇の道ならびなかりき。しかるに宿善(前世でおこなった良い行い、現世で良い果報を受けるという)のうちにもよをしけるにや、幕下将軍(源頼…