2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧

カメラを首からぶら下げた男が、一枚のプレートを読んでいる。プレートは、京都四条病院の救急口の横にあり、病院の場所は、堀川四条の交差点のそばである。男は恐らく、遠くから来た者である。近くの者は、男のようにプレートの前で足を止めたりはしない。…

芭蕉の『野ざらし紀行』に、梅林と題した「梅白しきのふや鶴を盗まれし」の句がある。童謡の一節と云われれば、口ずさむことに抵抗は起きないが、この句には「京にのぼりて三井秋風が鳴滝の山家をとふ」の前書がある。三井秋風(みついしゆうふう)は、豪商…

伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)、四代目伊藤源左衛門が画師若冲となるのは、高倉錦小路の青物問屋枡屋の家督を弟に譲った宝暦五年(1755)、四十歳の時である。はじまりの遅い若冲は、その遅い分、その一筆から絵とは何かと問わざるを得なかった。明和…

昭和三十四年(1959)の京都新聞の連載企画「古都再見」に、物理学者湯川秀樹は、「大仏殿石垣」の題で文を寄せ、二、三十年前のこととして、「博物館から豊国神社・方広寺の鐘のあたりまで、以前よく散歩したことがある。このあたり一帯の閑寂というよ…