2016-05-01から1ヶ月間の記事一覧

一枚のモノクロ写真に、右膝を立て、左手を床について座る着物姿の男が写っている。厚ぼったい着物の背はやや前に傾き、髪を剃った才槌(さいづち)頭は心もち右にかしいでいるように見える。男は手前のやや先に目を落し、そこにあるであろうと思われるもの…

昭和六年(1931)、京都市五区に右京区伏見区の二区が加わり、百万に手の届く人口となって京都日日新聞が、京都の中心場所を当てるクイズを出した。『京都の精神』と大上段に構えた梅棹忠夫がその論で、「日本にはめずらしいことだが、京都のひとの心の…

大学も葵祭のきのふけふ 田中裕明。田中裕明は当時、京都大学の学生であったが、学生が行列のアルバイトをするようなことがあるとしても、京都大学と葵祭に直接の関係はなく、葵祭の昨日あるいは今日大学敷地を歩いても、行き交う学生にも校内にも葵祭の気分…

後鳥羽上皇の女房松虫と鈴虫の姉妹が、法然の弟子住蓮(じゅうれん)と安楽(あんらく)の手により剃髪したと知った上皇は、建永二年(1207)、住蓮と安楽を斬首する。あらゆる階層に広まった、南無阿弥陀仏を唱えるだけで極楽浄土に往生出来ると説く法…

五月五日は、藤森(ふじのもり)神社にとって特別の日、藤森祭の日である。「藤の森の祭は毎年五月五日にして、当地の神、蒙古退治の為出陣し給ふ日なり。産子(うぶこ)は宵宮より神前に鎧を錺(かざ)り、祭の日は一ノ橋、稲荷、藤の森にて朝より走り馬あ…