「桜のめでたく咲きたりけるに、風のはげしく吹きけるを見て、この児(ちご)さめざめと泣きける」。さめざめ、とは止まらぬ涙をこぼして泣くということ。この稚児は片田舎からひとり比叡山に預けられ、修行していた。「これも今は昔、田舎の児(ちご)の比叡の山へ登りたりけるが、桜のめでたく咲きたりけるに、風のはげしく吹きけるを見て、この児さめざめと泣きけるを見て、僧のやはら寄りて、「などかうは泣かせ給ふぞ。この花の散るを、惜しう覚えさせ給ふか。桜ははかなきものにて、かく程なくうつろひ候ふなり。されども、さのみぞ候ふ」と慰めければ、「桜の散らんは、あながちにいかがせん、苦しからず。わが父(てて)の作りたる麦の花散りて、実の入らざらん思ふがわびしき」と言いひて、さくりあげて、よよと泣きければ、うたてしやな。」(『宇治拾遺物語』「十三、田舎の児(ちご)、桜の散るを見て泣く事」)昔、とある田舎からやって来たひとりの稚児が比叡山で修行していたのであるが、春が来て、桜もいよいよ満開に咲き誇っているところに、吹き荒れる風が花びらを散らしていくを目の当たりにした。と、この稚児の目からはらはら涙がこぼれ落ちているではないか。通りすがりにそのことに気づいたひとりの僧が稚児に歩み寄り、「なぜそのようにお泣きになる。花が散るのを心惜しくお思いなさるか。桜というものははかないものだから、このようにすぐに散ってしまうものなのですよ。そうであっても、それだけのことなのです」と慰めるように云うと、稚児は、「桜の花が散ってしまうのは、別にどうということでもないんです。ただわたしの父が育てている麦の花が皆この風で飛ばされ、実らなくなってしまうのを思うとつらくて悲しい」と応えながらしゃくりあげ、ついにはおいおい声を上げて泣き出してしまった。それを聞いた僧は、何だそうだったのか、とがっかりしたということだ。ませた稚児が無常観に浸って泣いていたのではなかった。己(おの)れの父の麦の出来を思って泣いたのだ。稚児の言葉を聞いた僧は何だと半ばあきれ、半ば当てが外れてがっかりした情けない気分、それが「うたてしやな」である。落花の風流が「分かる」ことは、「諸行無常」の理解へ近づく道かもしれない。が、この稚児は「現実に根ざした」思いで父の麦を心配した。麦の出来不出来もまた「諸行無常」である。『臨済録』にこのような言葉がある。「道流、你(なんじ)如法に見解せんと欲得(ほつ)すれば、但だ人惑を受くること莫(なか)れ。裏に向い外に向つて、逢著すれば便(すなは)ち殺せ。佛に逢うては佛を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷(しんけん)に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得、物と拘らず、透脱自在なり。」(「示衆」)諸君、まっとうな正しい方法を見極めようと思うなら、人に惑わされてはならない。世の中の内にあっても外にあっても逢ったものはすぐに殺せ。佛に逢ったら佛を殺し、祖師に逢ったら祖師を殺し、聖人に逢ったら聖人を殺し、父母に逢ったら父母を殺し、親類に逢ったら親類を殺し、そうしてはじめて解脱することが出来、なにものにも縛られず突き抜けて自在でいることが出来るのだ。父も、麦の不作という「無常」にも出くわしたならば殺さなけらばならない。殺すほどの理解の果てに解脱、「悟り」があると。が、「悟る」ためのその者の口にも麦は必要だ。その麦が穫れないと稚児は嘆いたのだ、「悟り」が飢え死にしないために。という考えも、臨済は「佛に逢うては佛を殺」せとするのである。

 「この手紙は闇の中で書いているのです。昼間だったら、読める字が書けるかといえば、やはりだめだろう、と思います。なにしろ僕の手帖は、たいていいつも濡れているので、鉛筆の字はどっちにしても載らないのです。今だって、僕が左手に握っているこの手帖、濡れています。紙が破れないように、僕はそっと鉛筆を動かしています。暗くて、何も見えません。山の闇って、ほんとうに真っ暗だね。書き終わると僕は、手さぐりで手帖の頁をちぎって、手さぐりで足もとの土の中に埋めてしまうのです。この手紙が読めるのは、佑子しかいないのだ。」(「蟻の自由」古山高麗雄『二十三の戦争短編小説』文藝春秋2001年)

 「双葉の伝承館、最多9万人来館 23年度、福島県独自の旅行施策浸透」(令和6年4月4日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)

 嵐山、小倉山、北嵯峨。