信心のある親が幼な子を仏壇の前に座らせ、「まんまんちゃん、して」と云う。神社の鳥居を潜って、「まんまんちゃん、あん」と我が子を促す。道端でも手を合わせ、「あん、して」と拝むものを教えられる。幼な子が自分からそうし始めれば、「まんまんちゃん、あん」の出番はなくなる。その時を境に、「まんまんちゃ、あん」は親の口からも幼な子の耳からも消えてなくなる言葉である。『宇治拾遺物語』に「日蔵上人、吉野山にて鬼に逢ふ事」という話がある。「昔、吉野山の日蔵の君、吉野の奥に、行ひありき給ひけるに、長(たけ)七尺ばかりの鬼、身の色は紺青の色にて、髪は火のごとくに赤く、首細く、胸骨はことにさし出でて、いらめき、腹ふくれて、脛はほそくありけるが、この行ひ人にあひて、手をつかねて、泣くこと限りなし。「これは何事する鬼ぞ」と問へば、この鬼、涙にむせびながら申すやう、「われは、この四五百年を過ぎての昔人にて候ひしが、人のために恨みを残して、今はかかる鬼の身となりて候ふ。さて、その敵(かたき)をば、思ひのごとくに、取り殺してき。それが子・孫・曾孫・玄孫にいたるまで、残りなく殺し果てて、今は殺すべき者なくなりぬ。されば、なほかれらが生れ変りまかるのちまでも知りて、取り殺さんと思ひ候ふに、つぎつぎの生れ所、つゆも知らねば、取り殺すべきやうなし。瞋恚(しんい)の炎は、同じやうに燃ゆれども、敵の子孫は絶え果てたり。ただわれ一人、尽きせぬ瞋恚の炎に燃えこがれて、せん方なき苦をのみ受け侍り。かかる心をおこさざらましかば、極楽天上にも生れなまし。ことに恨みをとどめて、かかる身となりて、無量億劫の苦を受けんとすることの、せん方なく悲しく候ふ。人のために恨みを残すは、しかしながら、わが身のためにてこそありけれ。敵の子孫は尽き果てぬ。わが命はきはまりもなし。かねて、このやうを知らましかば、かかる恨みをば、残さざらまし」と言ひ続けて、涙を流して、泣くこと限りなし。そのあひだに、頭(かうべ)より、炎やうやう燃え出でけり。さて、山の奥ざまへ歩み入りけり。さて、日蔵の君、あはれと思ひて、それがために、さまざまの罪滅ぶべきことどもをし給ひけるとぞ。」その昔、幼い時から奈良の吉野山で幾つもの修行を積んで回っていらっしゃった日蔵上人が、ある日山奥で、身の丈が二メートル以上もある紺青(あお)鬼に出喰わしました。鬼は火のような真っ赤な髪で、首はひょろ長く、胸骨が飛び出るように硬く浮き出し、両の脛も細っているのに腹だけは膨らんでいて、この上人に逢った途端に、両手を擦り合わせながらわあわあと泣き出したのです。「鬼のくせに何でそのように涙を流して泣くのだ。」と上人が問い質すと、鬼は泣き止まずしゃくり上げながらこのように申したのです。「わたしは生まれた時は人の姿をしておりましたが、あることで人を恨んで四百年五百年その者を恨み続け、御覧の通りの鬼の姿になってしまいました。ことのはじまりはこうです。わたしはその相手を、恨みにまかせ、自分の手で殺してしまったのです。それからその者の子も孫も曾孫も玄孫までも血の繋がった者は全員殺し、ついに殺すべき者はいなくなりました。一旦はそう思いました。が、わたしの恨みはやつらの生まれ変わりの先のその果てまでも見つけ出し、一人残らず殺さなければ収まらなかったのです。そう思っていたのですが、その先の先の転生を突き止めることが出来なければそもそも殺すことなど出来るわけがありません。いまも消えないあの者に対する憎悪の炎で、わたしはこの世で生きていたあの者の子孫までをも絶え果てさせてしまったのです。そうしてわたし一人が生き残り、尽きない憎悪の炎を消すすべもなく燃え上がらせては、どうすることも出来ない苦しみだけを味わっております。あのような気持ちを起こさなかったなら、天の浄土に生まれ変わることも出来たでしょうに。人一倍恨みを溜めてこのような鬼の姿になり果て、気の遠くなるような苦しみを受け続けなければならないことが、どうしよもなく悲しくてなりません。人交わりがもとである者を恨み続ければ続けるほど、自分の身に跳ね返って来るということだったんです。恨んだ敵の子孫はわたしのせいで尽き果ててしまいましたが、わたしの苦しむだけの命は果てしないのです。はじめからこうなることを知っていたならば、あんなに恨み続けることはしなかったのに。」鬼はこう云って涙を流しながらいつまでも泣き続け、やがて頭から火が燃え出し、炎に包まれながら山の奥に帰って行った。日蔵上人は非常に心打たれ、鬼が負った罪を滅ぼす様々な祈禱を施されたということである。「かねて、このやうを知らましかば、かかる恨みをば、残さざらまし。」無知のせいでこのような苦しみを味わうことになってしまった、と鬼は思っている。これは誠実な改心の情ではない。が、永遠に続くであろうその鬼の苦しみを、日蔵上人は憐れんだ。それ故(ゆえ)に、日蔵上人は呪法を使って鬼の身体を燃やしたのである。ひとりの幼な子の前に、日蔵上人の絵と青鬼の絵がある。どこからか、「まんまんちゃん、あん、するんやで」という声が聞こえて来る。幼な子は夢中で手を合わせる。上人様に「まんまんちゃん、あん」、青鬼にも「まんまんちゃん、あん」。

 「ある日、おれは森へ行った。迷ってやろうと固く決意して行ったんだ。木々のあいだで道に迷ってしまったと感じる楽しみがある。おれは歩いていった。木の枝の音、鳥たちの歌だけを耳にする幸福に浸りながら。日が落ちると道に迷ったが、本当に、決定的に迷ってしまった。」(『不在者の祈り』タハール・ベン・ジェルーン 石川清子訳 国書刊行会1988年)

 「「突然奪われた日常」展示 富岡に震災アーカイブ施設開館」(令和3年7月13日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)