初めて曲がる曲がり角の道のその先の小道が行き止まりであるかもしれぬことは用心をしていても起こり、その小道が思わずも知った道に通じていたということもあるのであるが、太秦広隆寺の手前の三条通を南に曲がって初めて入った狭い住宅道の行き止まりとなった枯草と砂利の空地の端に生えている花を落とした山茶花の木蔭で、腹の突き出た中年の男がサンダルに素足でパイプ椅子に座り、白髪眉の年の入った男とやや腰の曲がった年の入った女の二人掛かりでその男の髪の毛を刈っていた。男は祝いの引出物を包むようなビニールの風呂敷を首から広げて垂らし、動くなという云いつけに我慢をしている様子で、年の入った男が後ろからその男の膝に置いた握り拳に手を当てていて、年の入った女は、盆栽の枝を落としているような動作で鋏を動かしている。藤田敏八監督の『海燕ジョーの奇跡』に、息子が父親に髪を刈って貰う場面があった。息子は沖縄のヤクザで、弟分を殺したある暴力団の組長を射殺して舟を乗り継いでフィリピンまで逃げ、貧民街で暮らしていたフィリピン人の己(おの)れの父親を探し当てると、その父親の店に入って名乗らずに椅子に座り、みすぼらしい姿の父親は怪訝な様子で髪を切りはじめるが、不自由な手元から鋏を床に落とすと、息子は堪(たま)らなくなって店を出て行った。平山秀幸の『愛を乞うひと』では、母親から望んで生んだわけでないと云われ、虐待を受け続けていた娘が、娘を持つ母親となって久しく音信の途絶えていた母親に会いに美容室を訪れ、母親はその前髪を梳かすうちに額の傷に気づいてはっとするのであるが、この娘も母親に己(おの)れを名乗らなかった。ウニー・ルコントの『冬の小鳥』では、父親の手で孤児院に預けられた少女が、父親が二度と迎えに来ることがないと分かると出された食事を払い落し、貰った人形の首を引きちぎり、逃亡を企てるほどの反発をして日が過ぎた後、木の下で髪の毛を切られながら、係の女から、いずれは養子にしてもらうんだよと云われると、少女は、どこにも行きたくないと応える。子ども時代、叔父の理髪店で髪を刈って貰っていた。店は叔父がひとりで立ち、その時に客の相手をしていて、他に客が待っていたり、後から客が入って来られるのが何より苦痛であった。金を払わない客としてどこか後ろめたい思いで番が来るのを待たなければならないのである。店には漫画の揃えもなく、窓の外の通りを眺めるほかに時間の過ごしようがなかった。番か回っても叔父は余計な口をきかない。タダの客であっても甥であればいい加減に済ませることは出来ないのである。為されるままに散髪が終わった後、果たして一度でも口に出して礼を云ったことがあったであろうか、剃刀を研ぐ皮の黒いベルトや開けると軋む戸の音は思い出すことが出来るのであるが。来た道を引き返すことも何事かではあるが。

 「翌(あく)る朝、村は騒動であつた。三歳の太郎が村からたつぷり一里もはなれてゐる湯流山(ゆながれやま)の、林檎畑のまんまんなかでこともなげに寢込んでゐたからであつた。湯流山は氷のかけらが溶けかけてゐるやうな形で、峯には三つのなだらかな起伏があり西端は流れたやうにゆるやかな傾斜をなしてゐた。百米くらいの高さであつた。太郎がどうしてそんな山の中にまで行き着けたのか、その譯は不明であつた。いや太郎がひとりで登つていつたにちがひないのだ。けれどもなぜ登つていつたのかその譯がわからなかつた。」(「ロマネスク」太宰治太宰治全集 第一巻』筑摩書房1955年)

 「1,3号機の格納器「水位低下」 福島第1原発、漏えい増量か」(令和3年2月20日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)