四条通は、八坂神社の朱塗りの西楼門から色合いの変わる繁華な町を貫(つらぬ)き、右京梅津の長福寺までほぼ真直ぐで、この位置から桂川に架かる松尾橋までやや南に傾きながら繋いで終わる。松尾橋の西詰には、松尾大社(まつのおたいしゃ)の大鳥居が構えているが、四条通が「石段下」と呼ばれることがあるのは、その楼門の階段下から広がる祇園の賑わいがその呼び名の元(もとい)となっているからであり、そうであれば四条通松尾大社からはじまるのではなく、八坂神社の西楼門の「石段下」からはじまるのであり、終わりが松尾大社なのである。この松尾大社の裏山の松尾山の山裾に沿って、一ノ井川という用水路が流れている。いまはかげも形もない田圃のために、桂川から引いた水である。山裾に並ぶ住宅が一軒ずつ玄関前にコンクリートの橋を架けているこの川に沿って、嵐山の方角に暫く行くと、住宅が途切れた斜面の叢に背骨の化石ような細い石段が現れる。面を塗り固めたコンクリートがあちこち剥がれ、斜面からずり落ちるのを持ち堪えているような様の、その石段を上ったところにあるのが梯子地蔵(はしごじぞう)である。正式名は東光山薬師禅寺であるが、斜面を削って均したような敷地に建っているのは、この僧侶が建てたという古びた小さな御堂と本堂とその住まいである。本堂は板を打ちつけただけの掘立小屋の如くであり、軒に何本かつっかえ棒が立っている。梯子地蔵は、御堂の中で赤い衣に包まれていた。座った姿の石地蔵である。この地蔵のご利益は、寝小便封じである。この敷地からも見える比叡山千日回峰行を遂げた恵堯という、下(しも)の病を治す法を身につけた僧が、死んで修行の場であった岩の上に残したのが、御堂に納まる地蔵であるという。もう一つのいい伝えは、比叡山に修行に行かされていた小僧が毎夜寝小便をしたために、漏らした布団を背負って比叡山から追い出され、遂には岩の上で死んで、地蔵となってその兄の夢枕に立ったというのである。梯子地蔵という名は、その岩のある場所が高かったため、梯子を掛けてお参りしなければならなかったからだという。「こんな夢を見ました。小学生の私は、母親に「この手紙を学校の先生のところへ持って行きな。」と言われました。持って行きました。橘君枝先生はその手紙を見ると、みんなの前で、「車谷さんは、ゆうべ寝小便をしました。」と言いました。みんながわッと声を出して、私を見ました。そのあと、橘先生は大きな画用紙に「わたしはゆうべ寝小便をしました、と書きなさい。」と言いました。私は書きました。先生は、その画用紙の両側に穴を開け、そこに紐を通しました。「ほかの七組の教室へ一部屋ずつ、この画用紙を首にぶら下げて行って来なさい。」と言われました。すでにもう授業がはじまっていました。廊下はしんとしています。私は首に画用紙をぶら下げると、一部屋ずつ入って行きました。そして自分の組へ帰って来ました。橘先生がにやりと笑いました。家へ帰ると、私が寝小便をしたふとんが庭に干してありました。母親が出て来ました。その時、母親はなぜか順子ちゃん(私の嫁はん)になっていました。ふとんの前に立たされて、叱られました。この夢が醒めたのちも、恥辱感が残っていました。他の組へ一部屋ずつ入って行った時の恐怖感も残っていました。各教室ごとに笑われたり、小突きまわされたり、その組の先生になじられたりした時の記憶が、よみがえって来ました。お袋が嫁はんに変身したのも恐ろしいことでした。さればこの恐怖感をぬぐい去ること、どうしても出来ないのでした。恐らく一生ぬぐい去ることの出来ない恥辱でしょう。」(「夜尿」車谷長吉『愚か者 畸篇小説集』角川書店2004年刊)子ども時代、預かっていた三つ四つの年の従弟が寝小便をした。その父親、叔父が肝臓かあるいは膵臓に水が溜まって入院をした時である。この従弟は三人兄弟の真ん中で、この上も下も男で、下はまだ一つか二つの年で、恐らくは母親、叔母に負ぶわれ病院で、上の兄も一緒に預かったのかもしれないが、あるいは叔母の実家に預けられたのかもしれない。その三つ四つの従弟は、預かったその日から二晩続けて漏らし、三晩めからは敷布の下にビニールを敷かされた。それだけではなく、おとなしくオモチャで遊んでいても、食事になると、何を出しても首を振って食わず、匙をつけるのは、寿司だねの甘い桜色のそぼろをまぶしたご飯だけであった。寝心地の悪いビニールを下に敷いた布団で一緒に寝るこの従弟がものを食うのを拒むのは、心細さと戦っていたからなのであろうが、そうであれば汗で濡れた髪の毛を額に張りつけて眠る間も、己(おの)れの心細さに慣れなければならなかった。が、この者は、それから何週間後かに亡くなる四十前の父親の死にもまた、慣れなければならなかった。梯子地蔵に供えるのは、模造の梯子である。その梯子には、たとえばこのような願い事が書いてある。部活の合宿に間に合うように治して下さい。本堂の前に、見事な蠟梅(ロウバイ)が下に開く薄黄色の花を咲かせていた。蠟梅は、かぐと鼻の穴にしばらく残って、離れてからでも不意に匂う花である。

 「数日間歩いたのち、ティ・ノエルはようやく見憶えのある土地に辿り着いた。水を口に含むと、昔何度も泳いだことのある川の味がしたが、じっさいに泳いだのはもっと下流で、川が海に流れこむ手前の、大きく蛇行しているあたりだった。」(『この世の王国』アレホ・カルペンティエル 木村榮一・平田渡訳 水声社1992年)

 「「処理水タンク」増設を検討 東京電力、敷地の利用計画策定へ」(令和3年1月7日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)