2024-05-01から1ヶ月間の記事一覧

左大臣藤原時平が延喜九年(909)三十九歳で亡くなった時、延喜三年(903)に亡くなった菅原道真の祟りに違いないと都人(みやこびと)の口に上ったのは、「891(寛平3)年(関白藤原)基経が死去すると、宇多天皇は基経の長男時平の対抗馬として…

若葉して御めの雫ぬぐはゞや 芭蕉。前文にこうある。「招提寺鑑真和尚来朝の時、船中七十余度の難をしのぎたまひ、御目のうち塩風吹入て、終に御目盲(めしい)させ給ふ尊像を拝して」鑑真は戒律の乱れた日本の仏教を救うべく六度目の渡航でやって来たのであ…

東山東福寺の塔頭芬陀院(ふんだいん)は、正式には芬陀利華院といい、芬陀利華とは白蓮華であり、寺の創建である関白一條内経(うちつね)の法名芬陀利華院に因んでいる。一條内経は歌人としての顔を持ち、このような歌を詠んだ。吹く風のさそふともなき梢…

行けど行けど一頭の牛に他ならず 永田耕衣。これを、行けど行けど一人(いちにん)の人に他ならず、と変えれば忽(たちま)ち「悟り」臭「仏教」臭が鼻につく。いや、牛であっても「悟り」臭は残る。どこまで行ったところで牛は牛であると。が、その先へ行け…

千本ゑんま堂大念仏狂言は「閻魔庁」にはじまり「千人切り」で終わるという。が、最終四日の夜に足を運ばず、完結しない思いに保存会が撮った「動画」を見れば、西国に逃げる源義経が連れ添った静と途中で別れた後壇ノ浦で怨霊平知盛と戦う「船弁慶」にはじ…

千本ゑんま堂は、縮んだ背筋を僅かばかり傾け歩く高齢の尼僧が引き継いでいるが、はじまりは平安後期とされ、『都名所図会』にはこうある。「千本閻魔堂は蓮台寺の南にあり、引接寺と号す。宗旨は真言なり。本尊は閻魔大王にして、法橋定朝の作。当寺の開基…