若葉して御めの雫ぬぐはゞや 芭蕉。前文にこうある。「招提寺鑑真和尚来朝の時、船中七十余度の難をしのぎたまひ、御目のうち塩風吹入て、終に御目盲(めしい)させ給ふ尊像を拝して」鑑真は戒律の乱れた日本の仏教を救うべく六度目の渡航でやって来たのであるが、芭蕉は「船中七十余の難」と鑑真の「物語」に心昂(たかぶ)らせ、若葉でその御目から零れ落ちる涙を拭ってさしあげたいと自らの「物語」を加える如く詠んだ。「若葉して」は芭蕉四十五歳の感傷的技巧である。花すくなかりしが葉桜となれり 谷野予志。花の少なさを疎(うと)んじられた「桜」であったが、堅実に親の商売の跡を引き継いだ者の姿がこの「葉桜」に重なる。葉ざくらの中の無数の空さわぐ 篠原梵。葉ざくらや真赤に洗ふ消防車 百合山羽公。この二つの句に共通するのは「無数の空」と「真赤に洗ふ」という鋭敏な感覚の技巧である。葉桜やきのふにかはるくらしむき 鈴木真砂女。葉桜の緑色が不意に鮮やかに目につくように、昨日に取って代わる今日の暮らし向きがある。良くも悪くも生活が一変した者がその生活を新鮮と思うことが出来るかどうか。葉ざくらやしづかにも終る日もあらん 石橋秀野。「しづかに」ではなく「しづかにも」の「も」に切なる祈りが込められている。しずかに終わる日もあるだろう、終わるといいのにと願うのはこの世の中か己(おの)れ自身か。

 「枝々の先端で存在がひしめいていた。存在はたえず更新されるだけで、けっして新しく生まれ出はしなかった。存在する風が大きな蝿のように木の上にきてとまった、すると木が揺れだした。しかしこの動揺は、新しく生まれた性質でも、潜在的力から行為への移行でもなく、事物そのものだった。」(「嘔吐」ジャン=ポール・サルトル 白井浩司訳『世界の文学49サルトルビュトール中央公論社1964年)

 「「帰還困難区域」名称変更…内堀知事「本質的な議論を丁寧に」」(令和6年5月22日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)

姉小路通(あねやこおじどおり)東西(ひがしにし)。