2024-04-01から1ヶ月間の記事一覧

嵯峨に暮れて戻れば京は朧かな 日野草城。花見で一日過ごした嵯峨と、日が暮れて戻った京との間には「距離」がある。「京」ではない嵯峨から戻った市中が朧に霞んで見えるのは、その「京」と己(おの)れの間にもまた「距離」が出来ているということかもしれ…

西陣、上立売通浄福寺東入ルの雨宝院の南門を入って左傍らに植わる御衣黄を今年は見ることが出来ない、ばかりでなく来年も目にすることが出来ない。門の内の柱に「御衣黄桜は残念ながら枯れてしまいました。」と書いた白い紙が貼ってある。塀越しにも見るこ…

この日の前日と前々日に雨が降り、京都一帯肌寒い風も吹いたのであるが、八幡市の背割堤の桜は満開を過ぎた六七割ほどの花がまだ枝に残っていた。背割堤は瀬割堤とも書き、二つの川の交わるところに土を高く積み上げ互いの川筋を侵して洪水などを起こさぬよ…

「桜のめでたく咲きたりけるに、風のはげしく吹きけるを見て、この児(ちご)さめざめと泣きける」。さめざめ、とは止まらぬ涙をこぼして泣くということ。この稚児は片田舎からひとり比叡山に預けられ、修行していた。「これも今は昔、田舎の児(ちご)の比…

満開のふれてつめたき桜の木 鈴木六林男。北嵯峨広沢池の畔にある植藤造園は、十六代佐野藤右衛門の私邸でもあるが、桜の咲くこの時期、中に立ち入ることを許している。十六代の父、十五代佐野藤右衛門は円山公園の枯れた「祇園枝垂れ桜」のいままさに咲き誇…