満開のふれてつめたき桜の木 鈴木六林男。北嵯峨広沢池の畔にある植藤造園は、十六代佐野藤右衛門の私邸でもあるが、桜の咲くこの時期、中に立ち入ることを許している。十六代の父、十五代佐野藤右衛門は円山公園の枯れた「祇園枝垂れ桜」のいままさに咲き誇る二代目を戦後復活させたことでその名を知られている。一条通あるいは宇多野嵐山山田線という長ったらしい通りから入ると、いやその近くまで来れば高い丈の枝先から通りに垂れ下がる花の房が目に入る。植藤造園の樹木の植わる敷地は通りを挟んだ向こうにも広がっているのであるが、車の出入り口から足を踏み入れた敷地はその区別のつかぬすでに佐野家の庭であり、すぐ右手の透けた茂みの間を抜けた地面の盛り上がる一角を囲むように幹のさほど太くない、ということは恐らく樹齢数十年の枝垂れ桜の幾本かが空を覆っている。これらはすべて「祇園枝垂れ桜」の種を引き継いだ「兄弟」であるという。見渡すまでもなく樹の枝はどれも高い位置で剪定されていて、その花を見るためには頭上を見上げなくてはならないのであるが、たとえば満開のソメイヨシノを鼻先で見るのとは違う、中空より降り留まっているやや色の薄い、風が通ればその間から光の射す桜色の滴りは、辺り一帯にどこか粛然とした雰囲気を漂わせている。あるいはそれはところどころで「虫除け」のために煙で燻(いぶ)す篝火を焚いているせいからかもしれない。いま樹の周りにいるのは七、八人であるが、先ほどまで数人の海外の旅行者らしい一団が二組携帯電話を頭上に掲げていた。平らな叢に露台が二つ置かれていて、その一つにハイキング姿の初老の夫婦者らしい二人が腰を下ろしている。それから中年女の二人連れ、ジャージ姿の若い男、くすんだ色のジャンパーを羽織った若い女━━。が、際立って目につくのは、脱いだ上着と黒い鞄を手にじっと頭上を見上げて動かない、三十半ばほどの上背のない痩せた男である。まったく動かないのではなく、あるところまで静かに進むと足を止め、暫く上を見上げたままの姿になる。それからまた少し歩を進め立ち止まり、数分はその位置から動かない。その顔つきは、「感動」で呆然としているかのようにも横目に映ってもいたのであるが、よく見れば青白くどこかやや虚ろにも冷静にもその表情は見え、「人並み」でないその佇まいはあるいは「感受性」豊かな物書きか楽器の演奏を生業にでもしている者かもしれぬとも思ったしりたのであるが、いつの間に木立ちの中から姿を消し、それから暫くして、造園の作業場の外れのようなところで作業着姿の小柄な老人に話しかけているのに出くわした。その老人こそは恐らく九十半ばを過ぎた十六代佐野藤右衛門である。「どういう人でしたか」と訊いたあの男の声と、十六代の「どういう人といわれたかて普通の人と何も変わらないよ、普通の人と」「普段の生活は」「普段の生活も普通の人と同じ。あんた何やの、いきなり来はって」「いや、本を読んで興味を持ったので」というやり取りがすれ違いざま耳に入った。傍らに恐らく跡継ぎの孫の嫁らしい若い女と三輪車に乗った小さな子どもがいて、嫁らしい若い女は困惑した顔つきだ。十六代は曾孫と遊んでいたところに男から声をかけられたのだろう。この男は目の前の老人が十六代佐野藤右衛門と知って言葉をかけたのだろうかと思っていると、その不機嫌な口ぶりに、男はしどろもどろに口ごもりそのまま引き下がったようである。男はそれから敷地から出て行ったのであろうか。いま一度枝垂れ桜の下で足を止め、通りに出ようとしたところで早足で戻って来たあの男が作業場の方に向かって行った、その辺りには十六代も誰の姿もなかったが。こちらが目にしたのはこれだけの光景である。が、それでも以下のような想像は可能であろう。あの男はやはり十六代佐野藤右衛門をその人と知らずに声をかけた。訊いたのは十五代佐野藤右衛門のことだったかもしれない。が、十六代佐野藤右衛門のことをその「当人」に訊いたとすれば男は甚だ間抜けであり、自ら名乗らなかった十六代はそのことは当然であるとしても甚だ滑稽で些(いささ)か意地の悪い老人である。男は通りに出てはじめていまの老人が十六代であることに思い至ったのではないか。そして泡を喰って戻って来た。東日本大震災の後いくつかの被災地にこの造園で育てた枝垂れ桜を植えて廻った十六代佐野藤右衛門は、このような無礼な男に手厳しい年をくった「横山やすし」のようなスジの通った男のように目に映ったのである。

 「桜に姥桜(うばざくら)という表現がありますな?このひと言聞くだけでも、女性蔑視のなんのと、ええように受けとらん人が多いけど、これも実は違う。なるほど姥桜と言われるほど歳のいった桜は、幹は皺くちゃです。けど、わずか残った枝に咲かせる花には「色香」がある。花にはみんな色気があって、若い花がパーッと開いた時には、そら、ものすごい色気ですわ。けど、この「色香」はなかなか出ませんのや。姥桜は、自分で枝や幹を少しずつ枯らしながら花をつける。調整せんと体がもたへんからね。知恵を働かせて永らえるから、皺くちゃの幹に風格がある。そこに花がほろりと咲いて「色香」を放つ。なかなか姥桜にはなれへんぞ、というのはそこですわ。」(十六代佐野藤右衛門「JAPONisme」2019/冬・春voL,20)

 「中国の学術誌に処理水の科学的情報掲載へ 福島医大、現地と共同」(令和6年4月4日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)