2014-01-01から1年間の記事一覧

妙心寺の塔頭退蔵院の方丈の白壁に、如拙の国宝「瓢鮎図」の模本コピーがカレンダーの最後の一枚のように貼ってある。所蔵物であった実物の「瓢鮎図」は、京都国立博物館の収蔵庫に眠っているという。家々の居間に下げた新年カレンダーの一月は、雪景色かも…

六道珍皇寺の本堂脇の階段を、四十手前の女が履いていた靴を脱いで上がり、板戸に切った格子穴に顔を当てて内を覗いた。その傍らの閻魔堂の戸に空いた二つの格子穴を、五十過ぎの夫婦が別々に覗いていた。夫婦が覗いているのは、小野篁(おののたかむら)と…

朝日新聞デジタルは戸村登の名で、終い弘法の記事を載せている。「京都南区の東寺で21日、今年最後の縁日となる「終(しま)い弘法」が開かれた。境内には、正月の食材や縁起物などを売る約1、200軒もの露店が軒を連ね、大勢の買い物客でにぎわった。…

1962年刊の林屋辰三郎の岩波新書『京都』に、太秦(うずまさ)にある蛇塚の口絵写真が載っている。手前に広がる茶畑の茶の木の丈と比べれば、写真でも無造作に大石を積み上げたような蛇塚のその大きさが分かる。蛇塚は土が失せて露出した、六世紀末から…

こきりこの竹は七寸五分じゃ 長いは袖のカナカイじゃ。こきりこ節はこうはじまり、窓のサンサもデデレコデン はれのサンサもデデレコデン、と囃子が入る。こきりこ節は、富山県五箇山地方に伝わる謡である。竹の寸が七寸五分よりも長ければ、踊る時に袖の邪…

船岡山の登り口は八ヶ所あり、その内の三ヶ所は建勲神社の参道口である。船岡山は、平安京朱雀大路を内裏を越えて延ばした線上の北にあり、清少納言が、岡は舟岡、と褒めたたえた平安京の裏山である。山の西側は葬りの地、蓮台野である。西行は、舟岡の裾野…

天使突抜三丁目から五条通を五百メートル東に進むと、烏丸通と交差する。その交差点の北側、烏丸通五条上ルに悪王子町があり、悪王子町から烏丸通を七百メートル上がり、交差する綾小路通を百メートル東に入った東洞院通四条下ルに元悪王子町がある。「悪王…

京都国立博物館で展示している鳥獣人物戯画の実物を見るためには、三時間並ばなければならなかった。京都には、朝から北西の冷たい風が吹いていた。一旦雲に遮られると、しばらく日差しが戻らなかった。庭の、ロダンがブロンズ粘土でこしらえた考える人が、…

太陽を巡る地球の巡りは気紛れではないが、小春日和が一年に幾日あるかは分からない。「小春。小春日、小六月。 [初学記]十月は天時和暖、春に似たり。ゆゑに小春日といふ。」(曲亭馬琴編・藍亭青藍補『増補俳諧歳時記栞草』嘉永四年刊) 芭蕉の小春の句は…

「外出の時間が来ると、お前は固い棒が三つ放射形に開いた帽子を被る。この道具立ての下で、お前の柔らかな頭蓋骨は水圧機のように働いて、このピストンに動力を送る。こうして天井は外れ、はねのけられるのだ。雛の打撃用の疣は、殻が割れてしまえばなくな…

堀川に架かる一條戻橋は、元禄三年(1690)刊の『名所都鳥』に「一條堀川の橋也。」と載り、安永九年(1780)刊の『都名所図会』には「一條通堀川の上にあり。」と載っている。鎌倉中期の作といわれる『撰集抄』の巻七の五に「浄蔵、善宰相のまさし…

上七軒の交差点から七本松通を上がれば老松町で、日野草城の、猫の恋老松町も更けにけり、が思い浮かぶ。春の灯や女は持たぬのどぼとけ。ものの種にぎればいのちひしめける。見えぬ目の方の眼鏡の玉も拭く。日野草城は、三高京大を経て、大正十三年、大阪の…

梶井基次郎は小説「桜の樹の下には」で、桜の花の美しさは、その根元に屍体が埋まっているからである、と得意に語っている。梶井は桜に対する空想を、そのように凡庸と云える美と死あるいは醜を文字通り直接に結びつけ、細工のように成し終えてしまうと、あ…

壬生大念佛狂言を観るための階段席を設けている壬生寺会館の一階は、壬生寺保育園になっている。二階は仕切りも何もない講堂で、狂言が演じられる大念佛堂に向かって吹きっ晒しのコンクリート階段が下がり、右手の下の地面に園児のための滑り台などが置かれ…

ぱらぱらと、雲の晴れ間から雨が落ちて来た。台風は夜の間に通り過ぎて行ったが、嵐山小倉山の上に鼠色の雲の溜りがあった。天気雨のことを、狐の嫁入りと呼べば、目の前の景色が入れ代っている。入れ代った気分になる、と云ったほうが親切かもしれない。目…

モーリス・メーテルリンクの『青い鳥』は、チルチルとミチルの兄妹が見た夢の物語ということになっている。兄妹がクリスマスの前の夜床に就き、同じ夢を見て、その同じ夢の中の思い出の国や森や墓地や花園や未来の王国を、青い鳥を探して訪ね歩く奇妙な話で…

朱雀第二小学校の校庭で、裸足になった生徒たちが組み体操の練習をしていた。教師がホイッスルを鳴らすと、散らばっていた生徒たちがもぞもぞとピラミッドを作った。流れている音楽は、生徒の動きとは無関係のようだった。下で屈んでいる生徒の背中の感触は…

演出家佐々木昭一郎が二十年振りに作品を発表した。『ミンヨン 倍音の法則』という映画である。映画の監督は初めてであるという。二十年の間、佐々木昭一郎は作品を発表しなかった。「留守と言へ」ということだったのか。二十年経ったら帰って来る。1976…

嵐電北野線の始発駅北野白梅町から、帷子ノ辻行に乗る。平日の正午前、単線一両編成の電車の乗客は他に年寄りが二人。降りる駅は二つ目の龍安寺。歩いても造作のない距離である。電車が動き出す。風景が動き出す。行く先が分かっていても、どこかに連れて行…

三条大橋を東に渡り、東山三条交差点を過ぎると間もなく、白川の橋の上に出る。橋の名前は白川橋である。橋の東詰に、道標が立っている。その面に曰く、是よりひだり ちおんゐん ぎおん きよ水みち。別の面に曰く、京都為無案内人立之。これは蛇足である。さ…

大事なもんどこにしもうたか、わからんようになってしもた。市からもろうたお米券も出てこん。いらんもんほかすこともようできひんし。あん人大腿骨に針金三本入っとるんやて。リハビリいうたかて、痛うてかなわんいうてな。もうヘルパーさんが来るころや。…

ヴィム・ヴェンダースの映画『ベルリン・天使の詩』の主人公の中年男の天使が、人間に憧れて人間になり、サーカスのブランコ乗りの娘に恋をしたことで死ぬというところがつまらないと思った。天使が人間になり、永遠の命が永遠でなくなることはかまわない。…

毎年、年末の晦日か大晦日の日に鎌倉を歩いた。鎌倉駅を外れれば、人のすれ違いも稀なほど、鎌倉はしんとしていた。当てのないぶらぶら歩きを終えて東京に戻る前、その年の見納めに円覚寺の見晴し台に上がり、弁天茶屋で甘酒を飲み、大抵舌の先をやけどした…

リチャード・ブローティガンの小説『アメリカの鱒釣り』は、例えば子供の服の背中に〈アメリカの鱒釣り〉と悪戯書きされた一つの言葉である。あるいは「パイの皮を一緒に食べながら、〈アメリカの鱒釣り〉はマリア・カラスに微笑みかける。」(藤本和子訳 晶…

一週間前、玄関前に立っていた婦人が、地蔵盆の寄附に賛同して欲しい、と云った。賛同していただけないでしょうか、だったかもしれない。生まれ育った福島に地蔵盆なる風習はなく、その意味内容を知らぬまま、婦人が示した金額千円札二枚を渡した。昨日の夕…

千本今出川交差点で信号待ちをしていた時、本屋の店先にあった絵本の回転棚の黄色い三角屋根の上で、子どもが棚を回すたびこちらに向かってドラえもんが笑いながらバンザイをして見送ってくれていたのであるが、西陣の外れ、新町通上立売上ル安楽小路町に建…

四十数年NHKの朝のラジオ体操を欠かしたことがないという呉林某という者のメールの紹介が、枕元のラジオから流れて来て、目が覚めた。今日も、旅先の京都の旅館で体操をやると云う。加えて、錦市場での買い物が楽しみと、メールの付け足しをアナウンサー…

俗を続ければ、雨女という言葉があり、雨男という言葉がある。言葉にはそれぞれに意味が備わり、片や、その言葉は無意味である、という云われ方もする。あるいは言葉は音を伴う。言葉になっていない音の羅列のようなものもある。音の羅列のようなものでも、…

市営地下鉄烏丸線の鞍馬口駅から地上に出てすぐのところに、通りすがりに一瞬横目に置いただけであるが、もう一度見たい場所があった。台風11号が去った朝の空に、幾つもの綿雲の群れが浮かんでいた。知恵光院横の橘公園で黒づくめの七つ八つの女の子が、…

小学校の授業で、風が吹くと桶屋が儲かるという話を聞いて、面白いと思った。それからずっと経って聞いた、北京の蝶が羽ばたくとニューヨークで嵐が起きるという大袈裟な成り行きの気象学者の作り論文も面白いと思った。御池通の地下の商店街ゼスト御池の円…