2014-07-01から1ヶ月間の記事一覧

蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ。ミミズは鳴かないが、鳴いてもかまわない、鳴いてもいいじゃないか。ミミズの鳴くところを、鳴き声を想像せよ、というのが冒頭の季語の意味である。目もなく手足もなく、千切れた紐のような胴体を引き摺り、口を泥まみれにし…

その場所の前を通るのは、三度目である。東京から次の住む部屋を探しに来た折、泊まった塩小路町の宿を出て、当ても持たずに朝の通りを、京都の云いで上ッて行くと、通りの角のその場所から不精髭の太った男が出て来て、真新しい卒塔婆の束を停めた車に積む…

神が下りる神聖な場所を森というのであれば、糺の森は正真正銘の森である。欅榎の落葉樹が生い茂り、奥に下鴨神社が控えている。しかしその広さを東京ドームの三倍、と比較をすれば、鬱蒼とした午の薄闇ではなく、三つ並んだ球場でユニフォーム姿の選手が野…

「ココハキンカクジデスカ」。門に立つ青い制服姿の警備員の一人に、リュックサックを背負ったでっぷりとした年配の夫婦らしい外国の二人連れの、その妻らしい者が訊く。訊かれた警備員は、その質問の意味を肯定するように、一回顎を引いて頷く。二人の警備…

伏見稲荷大社の提灯明りを観に来たのだが、まだ午である。稲荷駅から少し東福寺駅の方に戻った蕎麦屋に入り、どうにか読める照明の下で、品書きから鰊蕎麦を頼んだ。程なく入って来た五人の集団が、満席ですと断られる。十八九人の客がいた。奥にも座敷があ…

カメラを構えた大男に前を遮られ、横にずれると、足の裏があるものを踏んだ。そっと足を持ち上げた。蝉の抜け殻だった。真ん前に来た月鉾の囃子の最中にも関わらず、フシャというその音が、耳に届いた。四条通河原町通を経てきた山や鉾が、烏丸通を一千年を…

かつての勤め先に、写真を「サシン」と呼ぶ同僚がいた。カメラを趣味にしていたわけではない。たまたま話が魚に及び、そう云えば、と飼っている熱帯魚を撮った自分の携帯電話の画面を示し、「このサシン」と云ったのである。「サシン」に、水槽の底に横たわ…

上村一夫に用があった。「吉日」という話がある。家で花嫁姿を整え、婚礼に行く姉を見送る弟を描いた上村一夫の漫画である。ことは何も起こらない。姉に起こされ、弟は遅い朝食をひとりで摂り、父親は新しい餌を食わない文鳥の心配をしている。親戚が集い、…

思い出を遡るということはよくある。思い違いということもよくある。その喫茶店は新京極にあった。新京極に行った理由は分からない。清水寺へ行った帰りだった。清水寺で通り雨に降られ、境内の茶屋の、水の流れるそばで生ぬるい心太を食った。清水寺から新…

堀川通から入ル東洞院通までの姉小路通の一方通行、東洞院通から入ル堀川通までの三条通の一方通行、堀川通から入ル東洞院通までの六角通の一方通行、東洞院通から入ル堀川通までの蛸薬師通の一方通行、堀川通から入ル東洞院通までの錦小路通の一方通行、姉…

そのことを知っていた。しかし分からなかった。思えばそういうことになる。お中元を一か所だけ送らなあかんよって、そこからお中元もろてはるし、せやけど足が悪うて、コープ行きたいんやけどタクシーも金かかるしなあ。紺藍色の朝顔が咲いている隣の軒先で…

東京都美術館でバルテュス展をやっていた。東京での住まいは上野桜木にあった。東京都美術館までは、言問通を渡ればすぐだった。行き帰りに《夢見るテレーズ》の膝を立てたポスターを目にしたが、観に行かなかった。慌しく東京を去る引越し準備の最中だった…

三条通油小路の駐車場の警備員が、日に焼けた右手の指を折って数えている。親指人差し指中指薬指。男の動作はそこで止まり、小指は折らない。昨日長刀鉾稚児舞披露という報道写真を見た。祇園祭の行事のひとつである。着飾った白塗りの稚児が緋毛氈の舞台の…

京都駅のホームに降り立ち、いざこれから八坂祇園清水寺、あるいは金閣寺、あるいは嵐山、大原に行こうと胸を膨らませている時に、果たして旅人はあの大階段を上がろうとするだろうか。哲学の道、四条河原町、上七軒を歩き回って、さて帰ろうという時に、果…

百万遍の交差点で、三十半ば辺りの女がため息をついた。右手に笹竹を持っている。その小さくもない笹竹にちらと目を遣る。今日は七月四日である。それが七夕のものであることは、誰が見ても分かる。が、ため息の理由は隣からでは分からない。つい先ほどまで…

雨の日に月光町で、賀茂茄子を買い、赤味噌を買い、卵を買い、砂糖を買い、サラダ油を買い、小麦粉を買い、けしの実を買い、藍色の金魚が泳ぐ器に赤味噌砂糖、二つに割った卵の殻の器から黄身を落として、ずいずいずっころばしを口ずさみながら粘るまで練り…

桂川に架かる渡月橋よりも、河原の叢で鳴くウマオイの声が気になった。三条通の車の流れが途切れると、そこらじゅうで鳴いていることがわかる。しかし腰を屈め、道の端から覗いても、一匹もその姿が見つからない。後ろからやって来た二人の御婦人が、何事か…

空が晴れたので、京都銀行に普通預金の口座を作った。端の折れた千円札一枚をカウンターの受け皿に載せると、千円札は忽ち目の前からどこかに消え、暫く待つと、真新しい通帳の第一行目に1,000と印字されて戻って来た。御前通沿いの町屋の出格子の張り…