2024-09-01から1ヶ月間の記事一覧
秋風やひとみうすれし石天使 神尾久美子。秋風やひとみうすれし石地蔵、とならないのは、道端に立つ地蔵、地蔵菩薩の石像は半眼か目を閉じていて、そもそも瞳が雨風に晒されることがないからであるが、瞳の「うすれ」た天使は、目を失った者のように「あはれ…
秋草に佇(た)てば心も吹かれやすし 岡本 眸。己(おの)れよりさびしきものに秋の草 鈴木真砂女。どちらの句も説明を要しない、「繊細」な心情を詠んだものであろう。秋草と云ふと雖(いへど)も荒々し 相生垣瓜人。この句は高濱虚子の、白牡丹といふとい…
切抜きの多し九月の新聞紙 早崎泰江。「いま」でもこのような切り抜きを日課にしている者がどこかにいるだろうと想像出来るが、この句は、新聞の発行部数が激減した「いま」よりも前の時代を思わせる。毎年九月に切り抜く記事、出来事が多いのか、この年だけ…
大いなるものが過ぎゆく野分かな 高濱虚子。大づかみに直観的に口から出た言葉をそのまま詠む虚子の特長的な句である。人間探究派と呼ばれた加藤楸邨は、死ねば野分生きてゐしかば争へり、と詠んだ。「生きてゐしかば争へり」は、もしまだ生きていたならまた…