大いなるものが過ぎゆく野分かな 高濱虚子。大づかみに直観的に口から出た言葉をそのまま詠む虚子の特長的な句である。人間探究派と呼ばれた加藤楸邨は、死ねば野分生きてゐしかば争へり、と詠んだ。「生きてゐしかば争へり」は、もしまだ生きていたならまた諍(いさか)いをしているに違いないということであるが、「死ねば野分」を死んでも野分のような気分に襲わていると読者に読ませるのではなく、死んでしまえばまるで「野分」が去ったあとのようだという思いのその「去ったあと」を読み取ってもらうために加えた「生きてゐしかば争へり」である。贈物無し野分のあとの佛像に 澁谷 道。供え物を失ってしまった「佛像」を、残念がる人間臭い仏像と見るか、そんなことにはつゆほども動じない無欲の悟った仏像を思うか、仏の前の人間の信心は自然の力で吹き飛ばされる程度のものだと知るか。六波羅の野分ちいさし飴玉も 澁谷 道。鴨川の東の六波羅に来てたまたま遭ってしまった野分は思ったほどではなく、口の中で小さくなった飴玉に、その小さくなっていることが何事かであるかのように些(いささ)か気持ちが動いた。
「十二時過ぎたので彼も床に入った。先刻(さっき)まで可成り騒がしかった四隣(あたり)の絃歌(げんか)も絶えて、どこか近く隅田村辺の工場の笛らしいのが響いて来る。思い做(な)しか耳を澄ますと川面を渡る夜の帆の音が聞えるようである。うとうとしている間に二、三軒横の言問団子の製餅場で明日の餅を搗き始める。」(「競漕」久米正雄『久米正雄作品集』岩波文庫2019年)
「経産相への報告延期 東京電力、デブリ採取着手ミス」(令和6年9月3日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)
二条城、北野天満宮。