千本ゑんま堂大念仏狂言は「閻魔庁」にはじまり「千人切り」で終わるという。が、最終四日の夜に足を運ばず、完結しない思いに保存会が撮った「動画」を見れば、西国に逃げる源義経が連れ添った静と途中で別れた後壇ノ浦で怨霊平知盛と戦う「船弁慶」にはじまり、大酒呑みの悪太郎が酔って正体を失くし伯父に頭を剃られ坊主になって騒動を起こす「悪太郎」、白拍子に化けた寺に因縁のある鬼神と坊主が釣鐘を前に戦う「道成寺」が終わると、「千人切り」の登場人物為朝(ためとも)、烏、親鬼、子鬼の四役が面を取った素顔で本堂の檀のゑんま像の前に並び、老尼の鉦打ち鳴らしての読経の後、為朝が老尼から文字を記した白布を巻いた金剛杖を授かる。守護役人為朝は、鬼や盗賊を成敗し善心を取り戻させるのがその役回りであるという。観客の待つ舞台に立った烏が弓を放つ動作で六方を浄めると、面をつけない演者と鉦笛などの裏方のすべてが舞台に勢ぞろいし、まず烏が為朝に扇で煽られ前に出れば、為朝は扇を縦に持ち換えて上下に動かす。烏はその動きにつられるように床の上で二度跳び跳ね、それでも為朝に襲いかかるしぐさに為朝が金剛杖を振り下ろせば、烏は後ろ向きに頭上に渡した弓で受け止め、次の一振りでもんどりうって床に切り倒され、烏は善心を取り戻す。このような手合わせが子どもから順に、たとえば裏方は座蒲団で振り下ろされる金剛杖を防いだりしながらユーモラスに繰り返され、最後に親鬼が切られ、舞台の上の演目「千人切り」は終わる。が、演者と裏方らはそのまま本堂の檀に集り、太鼓を打ち鳴らす中念仏を唱えながらゑんま像をゆっくり巡り、終えると烏が舞台で背負っていた泥棒除けという「千人切矢」を「どうですかあ」と子どもらが声を上げて参拝者に授与する。「千人切矢」がなくなると、参拝者が檀の前に並び、為朝から身体のあちこちを金剛杖で切る動作でさすられ、無病息災の加持を受ける。参拝者が厳(おごそ)かな顔で笑えば、大念仏狂言は本当の仕舞いとなる。明かりを落した舞台の前のパイプ椅子に人影はない。この席に観客が戻るのは来年の五月である。

 「私達夫婦の仲人をしてくれた亀井さんが、名前をつけてくれました。美穂、といふ名前です。男の子だつたら穂太郎がいゝと亀井さんはいひ、私も、のんびりしたいい名前だと思ひました。ルナアルの「にんじん」は不幸な少年ですが、それでも彼には、名づけ親のやさしい小父さんがゐます。にんじんがその名づけ親の許に泊まりがけで遊びに行くくだりは、あの本の中でも楽しい頁です。亀井さんはいま吉野の桜を見に旅行中です。私は明日、市役所に出生届をしに行かうと思つてゐます。」(「美穂によせて」小山清小山清全集』筑摩書房1969年)

 「処理水5回目放出が完了」(令和6年5月7日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)