車谷長吉に「三笠山」という短篇小説がある。己(おの)れの商売が行き詰まり、一家四人で心中をする話である。京都大学医学部に合格したその日に父親が二人死亡の交通事故を起こしたことで、男は進学を諦めて建材会社に入り、後に独立し、高校の同級生で子連れの出戻りと結婚し、子が一人生まれ、世の景気が傾き出すと取り引き会社が倒産し、会社の借金が膨らみ、遂には身動きが取れなくなり、追い詰められてサラ金で借りた有り金をイチかバチかの競馬につぎ込んで負け、最後の日子どもらを奈良のドリームランドへ連れて行き、その夜宿で子ども二人を絞め殺し、男とその妻は三笠山へ入って車の中に排気ガスを引き込んだ。車谷長吉は、小説の主人公の男のはじめの躓(つまづ)きを父親の交通事故にしたのである。数日前のNHK・NEWS・WEBの特集に、若い親子三人の家族写真を掲げた記事が載っていた。並んだ父親と母親の前に立っているカズヤという男の子は、三歳で父親を交通事故で亡くし、小学三年の時から、心臓に持病のあった母親の代わりに祖母の便所に付き添い、買い物洗濯をし、薬を取りに行き、母親が倒れると中学は休みがちになり、高校は定時制に通いながら祖母と母親の介護にその日その日を費やし、祖母が亡くなり、四年前に母親が亡くなり、三十八歳になったこのカズヤという男は、ただの一人の友人も持ったことがなく、寝たきりになった母親がスープのようなものしか口にしなくなり、別のものを作るのが面倒で己(おの)れも同じものを摂るうちにその習慣が身につき、いまでもそのドロドロにした食べ物を母親の遺骨を納めた小さな仏壇を置いたテーブルの前で匙で掬(すく)って食べているという。いまはスーパーに勤めているというのであるが、父親の交通事故がなければ、この男のこれまでのすべてはそうではなかったのかもしれない。京都駅の西に梅小路公園がある。JR嵯峨野線で、駅を出てすぐ右手に見えるのが梅小路公園である。歴史の元(もとい)では、平清盛一族の屋敷のあったところだといい、源氏に火をつけられてからは長らく田畑のままで、平らなところが国鉄の貨物駅になり、いまは貨物駅の敷地も含め、薄い傾斜地に芝を植えた公園になり、嵯峨野線の曲がりに沿った西側は樹木を生やし池と小川の水辺を朱雀の庭といのちの森と名づけ、大部分を有料の柵で囲っている。かつての梅小路通沿いにあるこの公園の隅で咲き始めている百本余の丈の揃った紅梅白梅は、その名にちなんで開園の後に植えられたものである。この梅の木の間の敷石を通って緩い傾斜を上ると、菜の花が目に入る。菜の花の花壇の向こうが枯れ芝の広い空地である。芝の上で、同じ運動着姿の幼稚園児が一斉に走ったり止まったりしている。端を行き来している襁褓(おしめ)姿の子どもを連れた父親や年寄の二人連れの姿も見える。流れる雲のせいで日が照ったり陰ったりする広場に時どき声が上がるのは、遠くにいる幼稚園児のものではなく、公園の隣りにある京都水族館のイルカショーで客が上げた声である。擂鉢状のこちらに向いた観客席にぽつりぽつり人の姿があり、マイクを通した係の声も聞こえて来る。京都はいま、国が出した二度目の緊急事態という宣言のさ中である。仮にいまこの場で撮った写真は何の変のない広場の写真であろうが、その写真に2021年の緊急事態の宣言下と添えれば、写真の中の景色は忽(たちま)ち緊急事態の景色となる。別の仮の写真がもう一枚ある。水底の深い川の、縁(へり)の一方には柵があり、もう一方の縁(へり)には柵のない写真である。この柵のない縁(へり)を歩かされていたのが最後にドリームランドへ子どもを連れて行った小説「三笠山」の一家であり、カズヤという男である。枯れ芝の広場で、輪になった列から抜け出した幼稚園児が、立って構えていた先生の広げた腕の中に摑まる。「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしてるとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない━━誰もって大人はだよ━━僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ━━つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなとき僕は、どっからか、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」(『ライ麦畑でつかまえてジェローム・デイヴィッド・サリンジャー 野崎孝訳 白水Uブックス1984年刊)

 「指切りは、人と人とをつなぐものであるが、そこで結ばれる「約束」はしばしば裏切られる。指切りは約束であって約束ではない。これは他国民にはなかなか理解されない日本人のふしぎなしぐさである。指切りゲンマンは子供のあそびである。あそびであるかぎり、不確かではかないものである。「手をつなぐ」とか、「腕を組む」とかいったものとはまるでちがう。しかし、約束としてはかなく、不確かであればあるほど主情的には、切ない想いがこめられる。」(『しぐさの日本文化』多田道太郎 角川文庫1978年)

 「3月8日から 「立ち入り規制緩和」 大熊下野上、熊地区の一部」(令和3年2月10日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)