蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ。ミミズは鳴かないが、鳴いてもかまわない、鳴いてもいいじゃないか。ミミズの鳴くところを、鳴き声を想像せよ、というのが冒頭の季語の意味である。目もなく手足もなく、千切れた紐のような胴体を引き摺り、口を泥まみれにして秋のある夜、ミミズが鳴く。俳人川端茅舎は、一九二十年代東福寺塔頭正覚庵に寝起きし、そこから三キロほどの距離にあった六波羅蜜寺に足を運んだ。当時の六波羅蜜寺は人に顧みられることもなく、本堂の柱の丹の色が剥げ落ち、荒廃を窮めていたはずだ。開山空也時代の名は西光寺といい、空也の死後弟子の中信が六波羅蜜寺と改める。六つの行いによる彼岸到達の寺。この頃にはまだ闇を纏っていない。平清盛が居を構え、滅んではじめて寺は闇を纏った。時を経たその後の建物の荒廃も、おのれの闇を演出する。仏教に心傾けていた茅舎は、ろくはらみつじという響きに、しんのやみを繋げてみせた。その瞬間、しんのやみは圧倒的な飛躍を遂げ、誰も手の届かない闇の位置を獲得した。足元では、鳴くはずのないミミズが鳴いている。六波羅蜜寺宝物館で墨色の空也上人像を見た。四頭身半の痩せた躰を支えている両足の五本の指が、粗末な草鞋の先からはみ出していた。本堂の段に座り、来る途中の鴨川べりを歩いていた、頭をすっぽり白い布で覆った親子のような年並びの三人の女たちの姿を思い出していると、若い夫婦がやって来て、乳母車に赤ん坊を残したまま本堂に上がって行った。見ていてくれと云わんばかりの置き方だった。見ると、赤ん坊がちょうど目の前に入り込んだ竜胆の花びらを手で掴んだ。撓んで戻った竜胆の花びらは欠けていたのに、戻って来た母親が乳母車から赤ん坊を抱き上げた時、開いた赤ん坊の手には何もなかった。

 「わたしはとんだりはねたりする詩の進み方が好きだ。」(モンテーニュ 荒木昭太郎訳『エセー』中央公論社・世界の名著24 1979年)

 「九州や関西圏で悪化 県が本県の「イメージ調査」」(平成26年7月29日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)