気象庁は云う。日本付近は冬型の気圧配置が強まっており、日本の上空約5000メートルには氷点下36度以下の強い寒気が流れ込んでいます。強い冬型の気圧配置は3日にかけて続くでしょう。正月元日、午後二時、西の風二・三メートル、降雪一センチ、積雪一センチ。同、午後三時、南東の風一・〇メートル、降雪二センチ、積雪三センチ。同、午後四時、北北西の風一・〇メートル、降雪四センチ、積雪七センチ。同、午後五時、西北西の風〇・三メートル、降雪三センチ、積雪十センチ。同、午後六時、南西の風一・〇メートル、降雪六センチ、積雪十六センチ。全く日の落ちた夜、天に面した場所はすべて、雪の厚みに被われた。丸みを帯びたところは、丸みの上に積もり、斜面や木の枝には、遅れて積もった。川の水の流れに降り込み、水を湛えたところは、その前に氷が張った。京都市中の十六センチを超える雪降りの最後は、一九五七年三月十五日の十八センチである。一九二六年十二月二十五日積雪二十センチ。一九一六年十二月二十八日積雪二十二センチ。一九三六年二月五日積雪三十二センチ。一九五四年一月二十六日積雪四十一センチ。雪は二日の夜に再び降り出し、午(ひる)の日差しに嵩を減らした雪の上にまた積もった。一九五七年三月の雪は、生まれる前の雪だった。一九六八年三月の雪は、記憶している。学校校舎と講堂の間に短い渡り廊下があった。卒業生送別学芸会の出番を、その冷え冷えとした渡り廊下で待っていた。廊下の窓から、校舎と講堂の間の長細い庭が見えた。出し物は、前の年に転校して来た生徒が作った劇だった。劇は、人間と人間に食われる動物の話だった。役回りは、鶏小屋の火事を消す消防夫だった。待っている間に、雪が降り出した。大きな雪片は、庭の南天の葉の上に見る間に積もっていった。南天の赤い実が、これから舞台の上で消すことになる炎のように見えた。

 「三月十五日。晴。正午過淺草。」(永井荷風断腸亭日乗 昭和三十二年(1957)』岩波書店1981年)

 「推奨より10倍希釈 第1原発の飛散防止剤」(平成27年1月1日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)