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 京都府庁の正門うちの植込みの中に、京都守護職屋敷と一面にのみ彫られた石柱が立っている。会津藩第九代藩主松平容保二十七歳は、文久二年(1862)十二月、京都守護職に就いた。同年四月の薩摩藩士の関白・京都所司代襲撃未遂の寺田屋事件徳川幕府は慌てふためき、京都の治安統治の新たな職を松平容保に振ったのである。容保は名誉の貧乏くじを引かされ、家臣千人を引き連れ、京に入った。幕府は京都守護職の容保に、町を九つ潰して屋敷を用意した。その京都守護職は、五年後の慶応三年(1867)、王政復古の大号令徳川幕府の消滅と共に廃止となる。その間の京都の歴史年表に、このような事柄が並んでいる。文久三年(1863)、長州藩三条実美七卿の追放(八月十八日の政変)、暗殺、強盗、放火、落書横行。元治元年(1864)、新選組長州藩尊攘派襲撃(池田屋事件)、長州藩の討幕敗戦(禁門の変)、八百十一町焼失(鉄砲焼)。慶応二年(1866)、新選組坂本龍馬ら襲撃。慶応三年(1867)徳川慶喜、政権返上。この五年間が、京都市中で会津弁福島弁が最も飛び交った時と云えるかもしれない。たとえば「下らない」「馬鹿げた」は、「こっつぁがね」である。「生意気」は、「かすかだり」である。「大したことでない」は、「しっちゃもんだ」である。「調子に乗る」は、「おだづ」である。「落とす」は、「ほろぐ」である。「追い払う」は、「ぶぐる」である。『フラガール』は、全編が福島弁の映画だった。常磐ハワイアンセンター事業岸部一徳が、松雪泰子扮するダンス講師に、「かすかだってんでねえ」とセリフを吐いた。炭鉱夫の豊川悦司は、プールの椰子の木を寒さから守るため、「ストーブ貸してくんちぇ」とリヤカーを曳きながら長屋を回って歩いた。映画の舞台が県の北にずれていれば、このセリフは「ストーブ貸してくなんしょ」と云ったかもしれない。ダンサーになることを反対された豊川悦司の妹蒼井優が、母親の富司純子に云った、「おれの人生おれのもんだ」は、福島弁を交わす家族であったからこそ、母親富司純子は衝撃を受けたのである。

 「何かを書くとき、私はそれを、事実として真実であるということではなくて(単なる事実は、さまざまな状況や出来事で編まれた網ですから)、より深い何物かにとって真実であると考えるわけです。ある物語を書くとき、それを信じておればこそ書くわけです。単なる歴史を信じるということではなく、むしろ、ある夢とか、ある観念を信じるというような按配ですけれど。」(「詩人の信条」J.L.ボルヘス 鼓直訳『詩という仕事について』岩波文庫2011年)

 「汚染源特定と防止策要求 第1原発の汚染雨水流出」(平成27年2月28日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)