2015-01-01から1年間の記事一覧

松平容保の京都守護職就任で、従い上洛した会津藩家臣藩兵が寝起きした場所が、黒谷金戒光明寺である。藩兵の任務は、右も左も分からぬ京都の警護と尊攘派との戦闘だった。五年余の警護、禁門の変、鳥羽伏見の戦いで死んだ三百を超える者の墓が、境内墓域の…

京都府庁の正門うちの植込みの中に、京都守護職屋敷と一面にのみ彫られた石柱が立っている。会津藩第九代藩主松平容保二十七歳は、文久二年(1862)十二月、京都守護職に就いた。同年四月の薩摩藩士の関白・京都所司代襲撃未遂の寺田屋事件で徳川幕府は…

百日紅釈迦の阿難のわれ彳(た)つも 下村槐太。「この句は、他のすべての傑作の例に洩れず、詞書、ひいては作者の「私」から一切無縁の次元に置いても、否置くことによつて、なほただならぬ光彩を放つ。「釈迦の阿難のわれ」かく言ひ淀みつつ言ひ切つた作者…

探梅という季語は、芭蕉が冬の季に定めたとされている。高濱虚子編集の『新歳時記』では、「冬、早咲の梅を探ねて山野に出掛けるのをいふ。小春の日南に青いしもと(若枝)を上げ、青い萼をひらいて綻びてゐる白梅の一輪を見出すなどはまことに風趣が深い。…

落語の「初天神」で口の聡い子ども、キン坊は、親の弱味につけ込み、拒んだ父親に初天神に連れて行って貰えることになる。キン坊は父親との約束通り、物を買って欲しいとねだらないでいたが、約束を守ったのだから何か買って欲しいと父親に云う。父親は、蜜…

後白河法皇は、院政執行三十余年の間、三十四度熊野を詣でている。異常な回数である。熊野は浄土と見なされていた。浄土は、誓願修行の果ての悟りの世か、悟りそのもの、あるいはその死後に待つ西方の地のことである。熊野は、観音菩薩の住むという補陀落浄…

絵双六(えすごろく)に、振り出しに戻るという指示がある。振って出たサイコロの目が五で、五つ進んでも、進んだ先で三つ戻るという指示があれば、その者は三つ戻らなければならない。漫画雑誌の新年号に、絵双六の付録がついていた。新年元日の新聞の折り…

気象庁は云う。日本付近は冬型の気圧配置が強まっており、日本の上空約5000メートルには氷点下36度以下の強い寒気が流れ込んでいます。強い冬型の気圧配置は3日にかけて続くでしょう。正月元日、午後二時、西の風二・三メートル、降雪一センチ、積雪…