2016-01-01から1年間の記事一覧

ある物事が、この世ならずと云う時、それは大袈裟であると同時に、そう云い表わす以外に仕様のない驚き、畏敬に圧倒されている。葉を落していた骨のような枝に桜が花をつけ、数日の昼夜を経た後に、その満開を迎える時が来る。花開くことが一年に一度きりで…

九条通は、平安京の碁盤の目の南の端に引かれた通りであるが、その九条通に面して立つ東寺、教王護国寺の南門の位置が、延暦十五年(796)の創建以来変わっていないとして、その位置を基準に、明治二十八年(1895)平安遷都千百年の記念に、同じ九条…

死ぬまでは転ぶことなく寒雀 三橋敏雄。雀のはね跳び歩きは、罪を負ってのことである。病気の親の元に急ぎ帰った雀は、勢い余って寝ていた親の頭を蹴り、兄弟の燕は、化粧をして帰ったために、親の死に目に間に合わなかった。死ぬ間際の親の遺言は、雀に歩行…

昭和二十八年(1953)版の公認野球規則の守備に関する規則のその一、ピッチング部のその一には次のような規則が置かれている。「正式な投手の投球。二つの正式の投球姿勢がある。(一)ワインドアップ・ポジション。(二)セット・ポジション。どちらも…

是枝裕和監督の映画『海街diary』は、再々婚の果てに死んだ父親の葬儀で始まり、馴染みの食堂の女店主の葬儀で終わる。その父親は、初婚の妻との間に三人の娘、再婚の相手との間に一人の娘、再々婚の相手との間に一人の幼い息子を残している。映画の主…

懸想は、思いを掛けることであり、懸想文は、恋文、艶書と解されるのであるが、江戸時代に懸想文売りが売り歩いた懸想文は、艶書もどきに縁起を願い言祝(ことほ)ぐものである。懸想文売りは、黒川道祐が著した『雍州府志』(貞享三年(1686)刊)に、…

平安の法典「延喜式」の神祇の巻の「神名式」に二千八百六十一の神社が官幣社として記載され、祈年祭に国から幣帛(へいはく)を受けるのであるが、その四時祭以外の臨時祭祀の一つの祈雨(アマゴヒ)神祭では、その神社の内の八十五座の祭神が指定され、京…

聖護院の門内に、数十人の修験者男女が集い、その幾人かは二三の者らと談笑している。修験者は山伏とも呼ばれ、常日頃は山野で修する者らである。一月のこの時期、この修験者らは七日の内に、市中三千五百の信徒の一軒一軒を托鉢して回るという。午後一時一…

鉄棒に少年二人二日の朝 佐藤鬼房。二日は、約束事として正月の二日である。物語の一場面として、このような場景はあるかもしれない。テレビCMであれば、この直前に年始の賑やかな家の様を置いて繋げれば、少年二人の何かしらの気分は否応なく場面に現れる…

白朮(をけら)詣りを知ったのは、子ども時分にテレビで見たニュース映像で、その大晦日の夜、八坂神社の境内に吊るされた燈籠の火を細い縄に移し、火の点いたその赤い縄の先を手元で回しながら町中の夜道を歩いていたのは、自分とその年恰好の同じ子どもで…