その日のちょうど正午近く西陣の外れにいると、西から東から消防車のサイレンが上がり、自転車の足を止めて聞けばそれはどちらもこちらに近づいて来る響きである。ほどなく南の方角からも聞こえて来る。五辻通(いつつじどおり)に何人か人が出ていて、通りを北に入ると直ぐの脇道の突き当りの建物の裏の窓から白煙が上がり、異臭も漂っている。が、人の騒ぐような声は聞こえず、辺りは不穏な静かさである。五辻通に着いた消防隊員が道路の消火栓の蓋を開け、積んだ台車を転がしながら繋いだホースを伸ばして行く。ドアの開いた消防車の運転席から現場や状況の無線のやり取りの声が響いている。救急車が来てストレッチャーを降ろす。五辻通に出ている者には火の手も白煙も見えず、年の入った二人の女は目の前の出来事ではなく病気で入院した知り合いの話をしはじめる。昼飯の支度や仕事の手を止め、大勢が野次馬となってざわつくような気配は、いまのところこの火事にはない。火事は冬の季語である。火事遠し一人が入りてみな家に 白岩三郎。家に入ってテレビが点けっぱなしの茶の間に戻れば、中断していたこの家の者らの団欒は何事もなくもとに戻る。椿散るあゝなまぬるき昼の火事 富澤赤黄男。もっと燃えろ、という内なる後ろ暗い声がこの者には聞こえている。同じ火事の夢を何度か見たことがある。空は晴れ渡り、生まれ育った実家の東の方角にある家屋から急に火の手が上がると、煙も上がらず壁が崩れ瞬く間にその一軒を燃え尽くし、火は隣りの家にも移り、その隣りも同じ勢いで燃え出した。どこにも人影は見当たらず、稲刈りの終わった田圃の向こうで、見慣れた人家が「燃えるべく」して燃えているのである。火事跡の貼紙にある遠い町 林菊枝。この者の同級生は誰に知らせることもなく、この遠い町に行ってしまったのかもしれない。抽斗(ひきだし)に螢しまひし夜の火事 齋藤愼爾。暗黒や関東平野に火事一つ 金子兜太。どちらの句も詩的作為を持って読む者を刺激するが、片や一つの火事は螢となって抽斗に仕舞われ、もう一方は暗黒の世にあっては、上がる真実の声という火事は関東平野の広さをもってしてもただ一つである、というのである。学生時代に通っていた定食屋でボヤ騒ぎがあった。厨房と二階の住まいの一部が燃えたという。半月ぐらいで再開した店に行って、帰りがけに目のぎょろりとした初老の主人から熨斗(のし)に包(くる)んだ豆絞りの手拭いを貰った。が、それから一年足らずで店は閉じた。理由は分からぬが、恐らくは火事によって店の潮目が変わってしまったのである。西陣の火事は、その日の新聞沙汰にはならなかった。

 「夜になると、キッチンは祖母の城になった。そこで祖母は、よく知られた不眠症と根気よくつきあっていた。絶滅した哺乳類についての本を読み、子供のころに集めた鳥の骨格標本を眺めた。「わたしの猫が持ってきた鳥の死骸ですよ」煙草を吸い、チェスの詰め問題を解き、古いフルートを吹いた。そのフルートは日中には使い道のない広い玄関ホールのテーブルの上に置いてあった。この楽器もときおり光を反射した。」(「おばあさん」イーディス・パールマン 古屋美登里訳『双眼鏡からの眺め』早川書房2013年)

 「処理水の海洋放出、政府が行動計画 海外での風評被害調査ほか」(令和3年12月29日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)