九条東寺の講堂と食堂(じきどう)の間の空き地に、夜叉神堂という紅殻格子の二つの小堂が建っている。二つ建っているのは、夜叉に男と女があるからである。この日は弘法市の二十一日で、十二月は終(しま)弘法と呼ばれ境内中に露店が立ち、夜叉神堂の回りは業者の車で埋まり、お堂は駐車場の公衆便所と見間違えそうな様子である。その神堂の東側雄夜叉の前で、足元に黒鞄を置き手を合わせている中年を過ぎた辺りの男がいた。男は背広にネクタイ姿で、弘法市のごったがえする中でも目立つ格好である。深く傾けた顔を上げると、男は雌夜叉の方は拝まず、露店に足を止めるでもなく人混みに紛れて行った。夜叉という鬼はサンスクリットのヤシャあるいはヤクシャの音に漢字を当てたもので、漢字の並びに意味はなく、もとは森の神霊で邪神であったが、釈尊の教えを受けて後、八部衆の一尊として仏法を守護する者となったという。尾崎紅葉の未完の小説『金色夜叉』の、銀行の頭取の息子が嵌めていたダイヤモンドに目が眩んだお宮を蹴った貫一は、許嫁だったはずのお宮が夜叉に見え、蹴られたお宮は両親が引き取って一緒に育ったはずの貫一が夜叉に思えた。はじめからお互いにそう見えていたのではない、熱海の夜に夜叉が現れ出たのである。が、貫一という夜叉はこう云う。「来年の今月今夜になつたらば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が…月が…月が…曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ。」この貫一という夜叉は泣いているのである。お宮は生んだ子にすぐに死なれ、金で人を追い詰める夫との結婚を後悔し続ける夜叉で、高利貸しとなった貫一も夜叉のままである。金輪際この夜叉は夜叉を許さないのである。仏法を守護するはずの夜叉は、仏法を守護するはずの夜叉を許さないのである。これが未完の貫一とお宮である。雄夜叉の仏像に手を合わせていた背広姿の男は、終弘法のざわつく中で熱心に何を祈っていたのであろうか。「今ハ昔、元興寺ノ中門ニ二天在(マシ)マス。其ノ使者トシテ夜叉有リ。其ノ夜叉、霊験ヲ施ス事限リナシ。然レバ其ノ本ノ僧ヨリ始メテ、里ノ男女、此ノ夜叉ノ許ニ詣デ、或ハ法施ヲ奉リ、或ハ供身ヲ備へテ、心ニ思ヒ願フ事祈リ請フニ、一ツトシテ叶ハズト云フ事ナシ。」(『今昔物語集』巻第十七、第五十)夜叉はこのように願いを叶える実績がある。そのためには、夜叉が叶えたいと思うことを願うことである。東寺は北に総門と大門があり、この二つの門を結ぶ参道を挟んで洛南高校と三つの塔頭と東寺保育園がある。この参道にも野菜やお茶や反物や陶器やバッタモノのズックや古着の露店が並び、観智院と保育園の間の日陰の路地には古道具や玩具や古銭や浮世絵や掛け軸や模造刀の古物の業者が毎月の市と同じ場所に店を出している。客はいつもまばらであるが、この日は賑やかな声がしていた。「せーの、ヨイショ。せーの、ヨイショ。」保育園の玄関先で餅搗きを見ている園児の掛け声である。掛け声に合わせ杵を振り下ろす年配の園長の顔は、つつがなく新年を迎えるために真剣で真っ赤であった。門並や只一臼も餅さわぎ 一茶。

 「オトコはすぐに頭の中では二つのことをやりたがるけど、実際たいていはいっときにできひんもんどす。オンナは何か他のことをやってても、子どもが話しかけてくるのを聞くことに慣れてます。子どもが何か質問しかけてくる間にケーキをつくったりしますしね。かばん工場のフェルト加工職人グレース・クレメンツ談」(『仕事!』スタッズ・ターケル 中山容他訳 晶文社1983年)

 「日本海溝地震、最悪想定で死者19万9000人 福島県1200人犠牲」(令和3年12月22日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)