この日の御室仁和寺

 「私達は、神について、また、永生について真面目に考察するとき、恐らくはいまは、ひとつの穏やかな微笑を口辺に浮べることができるのだろう。何故なら、いまはすでに、神についても永生についても大きな構図として遠望されるかたちが自身の内部にあつて、たとえそこに鋭い衝撃が加えられても自身の根本的な立場が覆えるほどの予期せぬ力で激しく揺すぶられることなどもはやないと予覚しているからである。けれども、自由に関するかぎり、事態はいまだに、また、恐らくはなお暫らく先も、まつたく違つている。」(「自由とは何か」埴谷雄高埴谷雄高ドストエフスキイ全論集』講談社1979年)

「処理水海洋放出周辺海域、人や環境「影響なし」 廃炉安全監視恊」(令和5年12月5日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)