昌泰四年(901)、筑紫大宰府行きを命ぜられた菅原道真がこのような漢詩を詠んだ。「東行西行雲眇々 二月三月日遅々」トウコウサイコウクモビョウビョウ、キサラギヤヨヒヒチチタリ、あるいは雲眇々と東に行き西に行く、日遅々たり二月三月、とでも読むのかと躊躇えば、『今昔物語集』にこのような話が載っている。「今は昔、天神(菅原道真)の作らせ給ひける詩有りけり。東行西行雲眇々 二月三月日遅々 と。此の詩を後の代の人翫(もてあそ)びて(愛でて)詠ずと云へども、其の読(よみ)を心得る人無かりけるに、▢▢と云ふ人、北野(北野天満宮)の宝前(社前)に詣でて此の詩を詠みけるに、其の夜の夢に、気高く止事無き(やんごとなき、尊い)人来たりて(現れて)、教へて宣(のたま)はく、「汝(なんぢ)、此の詩をば何(いか)に読むべきとか心得たる(どのように読めばよいと思っているのか)」と。畏(かしこま)りて、知らざる由(よし)を答へ申しけるに、教へて宣(のたま)はく、「とさま(あちら)に行きかうさま(こちら)に行き雲はるばる、きさらぎやよひひうらうら(麗らか)、と読むべきなり」と。夢覚めて後、礼拝(らいはい)してぞ罷(まかり)出でにける(社を退出した)。天神(菅原道真)は、昔より夢の中に此(か)くの如く詩を示し給ふ事多かりとなむ語り伝へたるとや。」(「巻第二十四、第二十八 天神(菅原道真)、御製の詩の読(よみ)を人の夢に示し給ふ語(こと)」)左大臣藤原時平の讒言(ざんげん、他人をおとしいれる偽りの言)による大宰府配流が一月二十五日であれば、家族と西と東に離れ離れとなった菅原道真の「二月三月日遅々」は、決して長閑なものではなかったはずであるが、道真は家族に宛ててこう詠んだのである。それからわずか二年後の延喜三年(903)、道真は怨み死にする。延喜九年(909)藤原時平が病気で死に、延長三年(925)大旱魃が襲い、延長八年(930)清涼殿に雷が落ち死傷者が出る度にその原因を道真の怨みとされ、怨霊の仕業とされるのである。朝廷、都に起る怪異を怖れた醍醐天皇が、十三世天台座首法性坊尊意に神霊退散の命を出す。その結願(けちがん)の日の夕、比叡山菅原道真が現れる。謡曲雷電」では、堂の扉を叩く音がして道真の霊が入って来る。道真はかつて尊意の弟子であったがゆえ、二人は久しぶりの再会を喜ぶ。が、道真は尊意にこう口を開く、怨敵の復讐を梵天帝釈天に許された。だから勅命に応じないでくれ。だが尊意は、それが三度に及ぶならば応じざるを得ないと応える。聞いた道真は鬼の形相で仏前の柘榴(ざくろ)を嚙み砕き、妻戸に吐きかけると、柘榴の種が炎となって燃え上がる。尊意は印を結んでこれを消した。その場から姿をくらました道真は黒雲に乗り、次に内裏に現れ、雷を落し、千手陀羅尼を唱えながら殿舎を走り回る尊意と激しい争いを繰り広げ、遂に尊意の前に頭を垂れた道真は再び黒雲に乗り、空の高みに去ってゆく。が、『北野天神縁起絵巻』の「柘榴(ざくろ)天神」では、些(いささ)か展開が異なる。妻戸を柘榴(ざくろ)の炎で燃やした道真の乗る雲を尊意が追い、加茂川にさしかかる。すると突然加茂川の水があふれ出し、町中に流れ込んでいくではないか。尊意は手の数珠を揉んで祈る。と、目の前の流れが二つに割れる。その間を尊意は宮城を目指して牛車で駆けてゆく━━。この時、割れた水の流れの中から道真が現れたという話が、水火天満宮に残っている。尊意の願で二つに割れた水は、石の上に乗る道真の霊を浮かび上がらせる。そして尊意との問答の果てに道真の霊は雲の上、空の彼方へ飛び去り、都を襲っていた雷雨が止む。上京堀川通上御霊前上ル扇町の水火天満宮の境内に、この道真が乗ったといわれている「登天石」が残っている。水を入れて閉じた大きな巾着を上から押しつぶしたような形の褐色の鉄鋼のような石である。積み上げた丸石の台座に載ったその石は日射しの下でも湿っているようにも見える。この注連縄を張られた石に行き着いたところでこの「話」は終わる。石の真偽は分からない。が、菅原道真の死から二十年後の延喜二十三年(923)正二位が、正暦四年(993)正一位左大臣の位が朝廷から道真に贈られる。朝廷は本気で道真の怨霊を怖れていたのである。

 「或る晩、ウヰスキイでも飲んで寝ようと思つて、序(ついで)にテレビを点けたら、死んだ筈の桂文楽が現れて、毎回のお運びでございまして有難く御礼とか云つて噺を始めたから吃驚した。無論、昔録画した奴を再放送した訳だが、暫く振りに文楽の姿を見て懐しかつた。演つたのは文楽の十八番と云はれる「富久」で、御蔭でウヰスキイを飲みながら洵(まこと)に愉しかつたが、その文楽も実はこの世にゐないのだと思ふと何とも妙に淋しかつた。」(「籤(くじ)」小沼丹小沼丹全集第四巻』未知谷2004年)

 「作業員の顔に放射性物質 福島第1原発2号機、構内で除染対応」(令和5年12月12日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)