その場所の前を通るのは、三度目である。東京から次の住む部屋を探しに来た折、泊まった塩小路町の宿を出て、当ても持たずに朝の通りを、京都の云いで上ッて行くと、通りの角のその場所から不精髭の太った男が出て来て、真新しい卒塔婆の束を停めた車に積むのを見た。またの日、転居の挨拶葉書を買いに富小路通を下ッたついでに七条通の先の本屋に寄り道をした途中で、その前を通り過ぎ、三度目に、東本願寺の先の電気屋で用を足した帰り、烏丸通本願寺の参拝客に郵便局の道を訊かれ、辺りを探していてそれをまた目にした。その場所は髪を油で撫でつけた参拝客が、急にお金が入用になりまして、と莫迦に丁寧に云って入った郵便局のすぐ裏手に当たる。ガタのきたシャッターが半分開いた入り口の手前に、材木板が雑然と立て掛けてあり、大鋸屑を詰めた大きなビニール袋が一つその側に置いてあった。下りたもう一枚のシャッターを挟んで日で茶色に焼けた杉板壁に、貼紙厳禁という矩形の貼り紙が二枚、兄と年の離れた妹のような位置で貼ってあり、その前を通る度に目についたのは、その妹の位置の貼り紙の近くに書かれている計算式である。証明解決したフェルマーの最終定理ではない。白く細い字で右上がりに37、その下に27、線が一本斜めに走り、64。水草のようなしなやかな字である。その時その者は、咄嗟に二つの数字を書き取り、その数を正確に足さなければならなかった。杉板壁に走り書きした37,27,64。37と27とは何の数なのか。64はその二つの数を足した数字と本当に思っていいのか。一旦その白いもので書いてしまえば、二度と消すことが出来ないと分かっていても書かなければならなかった三つの数字と一本の線。あらゆる建物と同様、この建物もいずれ朽ち果てる。ある日忽然と地上から消えてしまう。それでも37足す27は64という計算式は永遠に残る、と妙に勇気づけられたのである。

 「又秋の耕しは、白背を待ちて勞すとて、畦の高き所白く干たる時かくべし。其ゆへは秋の田は露しげくしてしめるものなり。」(宮崎安貞編録 土居喬雄校訂『農業全書』岩波文庫1936年)

 「国が将来構想策定へ 復興相、中間貯蔵建設で検討」(平成26年7月27日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)