その者らは胴長靴を履き、池の底の泥の上で火を焚いている。その者らは三人で、その時折り話し掛ける様子から、掘立て小屋の陰にもう一人いるのであれば、四人である。池は嵯峨の広沢池で、胴長靴の男らは、四月に池に放って太らせた鯉を売っている。鯉はすべて、網の柵を巡らせた溝の泥水の中に追い込まれている。抜かれた水の名残のような流れが幾筋か泥を這い、その水の筋に、一羽のアオサギが不動の姿勢から、不意に長い嘴を突き刺してみせる。男がブリキの罐に枯木を継ぎ足すと、罐の中で木が爆ぜ、泥と雲の間で炎が大きく立ち上がる。南の一条通沿いの桜はすべて葉を落とし、泥の面(おもて)に映る北の背後の山々はまだ斑に紅葉を残している。水に浮かんでいた貸しボートは、東の畔の砂の上に積み重ねられ、囲いの板が建っているが、ボート小屋は失せている。やって来た野球のユニフォーム姿の中学生らが足を止め、西の畔の石段を伝って池の底に降り立ち、避け得ぬ泥濘(ぬかるみ)をさけるように膝を上げて歩き、顔を上げ、ばらばらになって突っ立つ。初めて目にする者には、ただの蕭条とした景色とは映らないかもしれない。一人が石を拾って放り投げると、続けて二三人がその真似をする。生れ育った家の庭にあった池がある日埋められ、それからずっと後に、何度かその池の夢を見た。その池は、実際の池よりも数倍の大きさに様変わりしているのであるが、夢の中ではその大きさに少しも疑問を持たないのである。広沢池の周囲は一キロを超える。池を一廻りする道はないが、いまであれば淵に沿って一廻りすることが出来る。身に泥を被る覚悟の上で。
「けふのうちに/とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ/みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ/(あめゆじゆとてちてけんじや)/うすあかくいつそう陰惨な雲から/みぞれはびちよびちよふつてくる/(あめゆじゆとてちてけんじや)」(「永訣の朝」宮沢賢治『春と修羅』宮沢賢治全集Ⅰちくま文庫1986年)