一枚のモノクロ写真に、右膝を立て、左手を床について座る着物姿の男が写っている。厚ぼったい着物の背はやや前に傾き、髪を剃った才槌(さいづち)頭は心もち右にかしいでいるように見える。男は手前のやや先に目を落し、そこにあるであろうと思われるものを見ている。右膝の陰になった右手に握られているものを詳しく見れば、筆である。男のやや着崩れたような容子は、立てた膝によって割れた裾のせいかもしれないが、男はブロンズ像であるから、その姿をこの先変えることはない。このブロンズ像の作者は、絵筆をとる男に、そのようなありきたりなポーズを与えた。が、その写真は、像の前に十分な空間を取り、真横の角度から、顎から首の陰りに男の色気を写し撮っている。そのブロンズ像の男は、友禅染に名を残した宮崎友禅である。像は、知恩院の境内にある。像の作者は、彫刻家吉田三郎である。吉田三郎は、上野公園の交番裏の叢に立つ野口英世の銅像の作者である。その像の写真は、昭和三十四年(1959)京都新聞の夕刊記事「古都再見」の一枚である。宮崎友禅は、井原西鶴の『好色一代男』に登場する大尽、金持ちの遊び人が身に着けたものの一つ「扇も十二本〔骨の〕祐善(ゆうぜん)が浮世絵」と謳われた流行絵師だった。吉田三郎の友禅像は架空であり、吉田はどのようにも友禅の姿を作ることが出来た。その像を元に、京都新聞のカメラマンは別の像を写し、恐らく町絵師友禅に近づいた。

 「テレビというのは、あれは動いているものなのですか、それとも固定したものなのですか。よく、どっちだろうと思います。というのは私はひとり住みなので、身のまわりに動くもののない暮しをしているからです。動くものは風のときの庭木、空の雲ですが、もう少し心あって動くものがほしく、それで雀にきてもらっています。餌をまくのです。」(「すずめ」幸田文『季節のかたみ』講談社1993年)

 「復興庁が福島県産品ファンクラブ 「食」の情報発信、販路拡大」(平成28年5月29日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)