北野天満宮の絵馬堂に、天満書が展示してあった。学問の神となった菅原道真を前にして、正月二日に書いた書初である。迷路のように立てたベニヤ板に、一千を超える書初が隙なく貼られ、初日の出や飛翔や富嶽といった言葉が、僅(わず)かずつ姿を違えた文字となって並んでいる。白い紙の上の黒い墨の文字の巧拙は、直(じか)に書いた者の生々しさを保っていて、子ども時代の教室に貼り出され、晒(さら)された級友のそれぞれの筆遣いを思い起こさせる。冬休の課題に書初があった。休みに入って間もなく、石油ストーブを焚いた畳の上で、課題の言葉を書いたのであるが、幾度も書き損じ、どうにも筆を握る手に身が入らない。子どもの考えは、早く習字の課題を終えて仕舞うことであり、書初という言葉は、課題という言葉に載った言葉の飾りに過ぎないと思ったのであるが、筆を進めながら妙な後ろめたさのようなものを感じたのである。もういくつ寝れば正月はおのずとやって来て、だからといって世界が一変してしまうわけではなく、新年も年改まるも言葉の上のことである。そうであると思っていたのであるが、後ろめたさを感じるのである。その年の瀬に、ストーブの火の燃える音に耳を澄ませながら、書初の、その意味に従わないことの後ろめたさを、何者かへの畏(おそ)れのようなものとして思ったのである。子どもの直観としてこの畏れは、己(おの)れがこの世にこのように留まっているための、遠くからやって来る畏れではないかと思ったのである。筆始の天満書は一般、高校、中学と並べられ、二歳、一歳、零歳の字も貼ってあった。その者らが親に腕を支えられて書いた字は、一や〇である。零と壱のなり麗(うるは)しき真葛原 久乃代糸。

 「心地よい夕べだ。全身がひとつの感覚器官となり、すべての毛穴から歓びを吸いこんでいる。私は「自然」の一部となって、不思議な自在さでそのなかを行きつ戻りつする。曇天で風が強く、肌寒いほどだし、とくに心をひかれるものがあるわけでないが、シャツ一枚になって石ころだらけの湖のほとりを歩いていると、「自然」を構成するすべての元素がいつになく親しみ深く思われてくる。」(H.D.ソロー 飯田実訳『森の生活』岩波文庫1995年)

 「正しく伝える『最新の福島』 パネル討論、教訓を社会で共有へ」(平成30年2月11日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)