梶の葉を朗詠集のしをり哉 蕪村。この句の季語は梶の葉で、織姫彦星と同じ七夕の季語の一つであるが、機織りの上達を願い歌を書いた七枚の梶の葉に針で五色の糸を通して星の下に供えたという平安の風習、乞巧奠(きっこうでん)の知識のない者にはこの梶の葉の意味するところは分からない。朗詠集、『和漢朗詠集』は正二位権大納言藤原公任(ひじわらのきんとう)が己(おの)れの娘婿藤原道長の五男教通(のりみち)への結婚の引出物にしたという詩歌集で、公任自らが漢詩と漢詩に倣った本朝詩と和歌を撰り集めた平安王朝が匂い立つ教養の書であり、当時蕪村の仲間内でも古典となっていたものに違いない。蕪村が梶の葉のしをりをどの頁に挿したのかは分からぬが、『和漢朗詠集』の巻上秋の「七夕(しつせき)」の項には次のような詩歌が載っている。「憶(おも)ひ得たり少年にして長く乞巧(きつかう、乞巧奠)せしことを 竹竿の頭上に願糸多し 白(白居易)」竹竿の枝に結んだ幾本もの五色の糸を見上れば、子どもの頃にはいつも七夕に願い事をしていたことを思い出す。「二星(じせい)たまたま逢へり いまだ別緒依々(べつしよいい)の恨を叙(の)べざるに 五更(ごかう)まさに明けなむとす 頻(しきり)に涼風颯々(りやうふうさつさつ)の声に驚く 美材(小野美材おののよしき)」年に一度逢う牽牛と織姫は瞬く間にやって来る別れに恨み言を云いたくても、夜明けの肌を撫でる風の冷たさにはっと驚いてしまう。「露は別れの涙(なんだ)なるべし珠空しく落つ 雲はこれ残んの粧ひ髻(もとどり)いまだ成らず 菅(菅原道真)」地に置く露は牽牛と織姫の別れを惜しんで落とした涙で、空の雲は寝乱れたままの髪のなりのようだ。「風は昨夜より声いよいよ怨む 露は明朝に及んで涙禁ぜず」昨夜から吹き已(や)まない風音はますます七夕の別れの恨み節のようで、夜明けに見る露は抑えきれない別れの涙に違いない。「去衣(きよい)浪に曳いて霞湿(うる)ふべし 行燭(かうしよく)流れに浸して月消えなむとす 菅三品(くわんさんぼん、菅原文時)」天の川を渡る織姫の霞の衣の裾は波に濡れるに違いなく、捧げ照らす月の灯も流れに浸され消えかかっている。「詞(ことば)は微波(びは)に託してかつかつ遣(や)るといへども 心は片月を期して媒(なかだち)とせんとす 輔昭(ほせう、菅原輔昭)」向こう岸へは言葉は天の川のさざ波に託すほかないのだけれど、それよりも早く心はこの欠けた月のようだと伝えることが出来れば。「あまの川とほきわたりにあらねども君が舟出は年にこそ待て 人丸(柿本人麻呂)」天の川の向こう岸がそれほど遠いわけではないのに、牽牛が舟を出すのは一年に一度だから、その一年という時を待たなければならない。「ひとゝせに一夜と思へど七夕にあひみむ秋のかぎりなきかな 貫之(紀貫之)」一年に一度の逢瀬ではあるが、秋が巡って来る限り牽牛と織姫は永遠に逢うことが出来るのです。「としごとに逢ふとはすれど七夕の寝(ぬ)る夜のかずぞすくなかりける 躬恒(凡河内躬恒(おほしかふちのみつね))」必ず一年に一度牽牛と織姫は逢うことが出来るというけれど、その逢瀬が一夜限りというのはやはり男と女には耐え得ないのである。梶の葉をしをりとして持ち出した以上蕪村は、『和漢朗詠集』のこの「七夕」の項をこの時に読んだか、あるいは以前に読んだことがあるには違いない。梶の葉は大人の手の平の大きさがあり、その青々とした葉はおよそしをりに相応しいものではないが、蕪村は本に挟んでしをりとしたという。蕪村は実際に、手許にあった梶の葉をそのようにしたのかもしれない、あるいは誰か知り合いの者がそのようにしていたものを見たことがあるのかもしれない。あるいは目の前には梶の葉も朗詠集もなく、想像でそう詠んだのかもしれぬ。が、いずれであってもしをりに相応しいとは思えぬ梶の葉をしをりにすることの意味するところは、演出である。七夕は、頭上遙か天の川を挟んだ牽牛と織姫の年に一度の逢瀬である。蕪村は、あるいは蕪村の知り合いかもしれぬ者は七夕の句を考えあぐね、近くにあった朗詠集を手元に引き寄せ、これは女が、正確には女の父親が用意したものであるが、結婚相手の男に贈ったものであることに思い当たる。なるほど朗詠集は、そもそも男女の絡んだ本である。このささやかな発見の嬉しさを云うために、蕪村は梶の葉をそのしをりとして演出したのである。梶の葉が挟まれている朗詠集の頁は、云うまでもなく「七夕」である。七月一日から月の半ばまで、千本ゑんま堂で風祭りという催しがある。薄暗い本堂の内でも外でも幾つもぶら下がった風鈴が鳴り、その風は千本通商店街に赤い提灯を並べ掲げる入口から、月極駐車場になっている境内を通って来る。七夕は星祭りともいうが、千本ゑんま堂は風祭りと名づけ、日が沈むと提灯に明りを灯し、閻魔大王の前で梶の葉に願い事を書かせる。願いを書いた梶の葉は、本堂の前に張った麻紐に逆さに吊るされゆらゆら風に靡(なび)き、日に日に丸まって文字は見えなくなり、カサカサに乾き、終(つい)にはサインペンの字もろとも粉々に砕け散ってしまう。梶の葉に書いた願い事は、雨晒しの絵馬の板切れのようにいつまでもこの世に留まるのでなく、風に乗ってしかるべきところまで飛んで行くのであると諭されれば、そうかもしれぬと人の信心は、情こそは萎(しな)びた梶の葉の方に傾くのである。
「杏の実が熟れる頃、お稲荷さんの祭が近づく。雄二の家の納屋の前の杏は、根元に犬の墓があって、墓のまはりには雑草の森林や、谷や丘があり、公園もあるのだが、杏の実はそこへ墜ちるのだ。猫が来て墓を無視することもある。杏の花は、むかし咲いた。花は桃色で、花は青空に粉を吹いたやうに咲く。それが実になって眼に見え出すと、むかし咲いた花を雄二は憶ひ出す。」(「貂(てん)」原民喜『原民喜全集 第一巻』芳賀書店1969年)
「海洋放出、13市町村議会「反対」 福島第1原発・処理水意見書」(令和2年7月25日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)