鳥羽城南宮の門前に店を構えるおせきもちの折りに添えられる栞に、「江戸時代この地に「せき女」と申す娘が居て、その大道(鳥羽街道)をのぼって来た旅人に茶屋を設け、編笠の形をした餅を笠の裏にならべて、道ゆく人に食べさせていました。大変心の美しい「せき女」は真心をこめて餅を造り、旅人を慰め、いたわったため大変評判になりました。それで「おせき餅」と名をとどめ、その後も永くそこに名物餅が商われつづけてきました。」とある。この今村せき女という娘は、旅人を慰め、いたわったが故(ゆえ)に「大変心の美しい」者とされているのか、あるいはもとより「大変心の美しい」が故(ゆえ)に旅人を慰め、いたわったということなのかもしれぬが、「心の美しい」という言葉で評されるこの者を、たとえば旅人を慰めいたわったという行為を思うことだけで「心の美しい」者として思い描く時、この「心の美しい」という言葉は、おせきという娘の前で立ち止まる。子ども時代に読んだ作り話に出て来る者の一方は皆「心の美しい」者である。そのもう一方は悪人である。絵師鈴木春信は、明和の三美人と謳(うた)われた谷中笠森稲荷の水茶屋「鍵屋」の看板娘お仙を描いている。首を後ろに傾け、柳腰の割れた着物の裾から脛が見えるその写し絵は売れ、お仙目当ての参拝客で「鍵屋」は賑わったという。が、春信の錦絵は実物のお仙をそのままに写し取っているわけではない。春信の目標は実物に似せて描くことよりも、水茶屋の看板娘の特性、その振る舞いを掬(すく)い取ることにあった。裾を乱し片足を後ろに浮かしている様(さま)は、溌溂(はつらつ)と客をもてなす姿であり、笠森お仙は恐らくは愛嬌のある美人であったと春信の絵は伝えている。おせきもちの店を継ぐ者らに、おせきは「心の美しい」娘と伝えられて来た。が、大人は疑り深いのである。おせき餅は腰の強い小ぶりの餅の上に、丹波大納言の餡(あん)がたっぷり指で掬(すく)って撫でつけたように載っている。餅の風味も餡の甘味も淡泊である。このおせき餅の味が、おせきの時より変えずに受け継がれて来たというのであれば、言葉以上におせきという娘を伝えているのには違いない。が、この餅の味がおせきの人となりを表しているという謂(い)いは軽はずみな謂(い)いであり、この淡い餅を口に入れて味わう者の方こそが恐らくは試され、その者の人となりが立ち現れるのである。たとえば、翌日には固くなってしまう餅の繊細さと、無雑作に載る餡(あん)の大胆さは、おせきの人となりの一端を表しているかもしれない。が、繊細で大胆な悪人もいるのである。おせきが「心の美しい」娘であったかどうかは大事(だいじ)ではない。おせき餅が旨くなければおせきという娘の人となりに思いを巡らすことはない、ということが大事なのである。おせきもちの栞には続きがある。「しかし、慶応四年(1868)正月、日本の新生は明治維新の砲声とともにこの地にも轟(とどろ)き、その鳥羽伏見の戦いで、この辺り一帯は戦場のちまたと変わりはて、民家が次々と焼きはらわれました。」大政奉還、王政復古の後も、辞官納地を渋り外交権を手放さない徳川慶喜を、倒幕に拘(こだわ)る西郷隆盛が江戸で撹乱、挑発すると、大坂城に引き移っていた慶喜は強硬派の意を受け薩摩を討つための軍を上洛させる。旧幕府軍約一万五千人、新政府軍約五千人の内、旧幕府軍の死者は二百八十七人、新政府軍の死者は百十人であり、この戦さにはこれだけの者の犠牲を必要とし、新政府軍が掲げた錦の御旗の絶大な威力で賊軍となった旧幕府軍は戦意を失うのである。旧幕府軍の死者の内、会津藩兵の死者は百十五人であり、それらの多くは賊軍の遺体として放置され、京都守護職に就いた松平容保会津藩に、人足の口入れ雑用で出入りしていた博徒会津小鉄(あいづのこてつ)、本名上坂仙吉(こうさかせんきち)がその遺体を集めて荼毘(だび)に付し、黒谷金戒光明寺に葬るのである。会津小鉄の墓も金戒光明寺にある。おせき餅をこれらの死者に供えても、当然ながら彼らは金輪際それを食うことは出来ない。

 「ぽっと部屋のまんなかに明りが落ちていた、天井から。そして、その明りの円のなかに茶ぶ台が出ていた。茶ぶ台の上に鍋があった。お茶碗が二つとお皿にしゃけが載っていた。それきりだった。茶ぶ台は低くて小さくて丸くて黒ずんでいた。私はぐいと来たものを、ひどく力んでこらえた。しゅんと固くなってこらえた。そしてその子のおごちそうとは、ただ単に餅であることを知った。私に餅はごちそうの部に入らないと思われたが、引窓の明りの円筒形のなかの雑煮はめずらしくて割にうまかった。引窓の綱には煤がいっぱいさがったまま、柱へ巻きつけてあった。うちの台所のと同じ二重式の引戸で、おそらく押しつまってはりかえたのだろう、紙はまっ白だった。」(「ひきまど」幸田文幸田文 台所帖』平凡社2009年)

 「福島県「森林」放射線量は75%減 平均0.23マイクロシーベルト」(平成31年4月25日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)