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  京都駅のホームに降り立ち、いざこれから八坂祇園清水寺、あるいは金閣寺、あるいは嵐山、大原に行こうと胸を膨らませている時に、果たして旅人はあの大階段を上がろうとするだろうか。哲学の道四条河原町上七軒を歩き回って、さて帰ろうという時に、果たして人はあの階段の前に立つであろうか。五六歳ほどの子どもが階段を上がって行く。傍らのエスカレーターから見上げているのは、その子どもの父親らしい。階段には変わったものが置いてある。胴に無数の穴が空いている巨大なドラム缶、三つか四つ赤い巨大な音叉のようなものを組み合わせたもの、正方形の赤い枠、これも穴の空いた巨大なヘルメットを逆さにしたようなもの。子どもが階段を上がりきり、171段、と父親に報告する。京都駅ビルガイドマップに、「京都駅ビルは「京都は歴史への門である」という設計主旨から、平安京の都市の特徴である条坊制(碁盤の目)を取り入れ、玄関口としての象徴である「門」を烏丸通室町通に配しています。また、中央コンコースを谷に見立てた段丘を東西に延ばし、中央部はガラスと金属でカバーされたアトリウム。空を映し出した壮大な内部空間と空に溶け込む外観を創り出しています。」とあるが、大階段の段数の記述はない。父親は子どもの171段を受け入れる。階段はその下にも、その上にもあった。上に上がれば色のよくない竹が植わった屋上に出る。梅雨空の京都が一望出来る。親子がエスカレーターで下って行く。子どもがピーナッツの殻を半分に切ったような、しかもそれが虫に食われたようなものが頭上を覆っているのを見上げる。親子は大階段の「谷」底に下り、今度は向こう側の「丘」を目指す。上がった「丘」に、上下に伸ばされた鰭のついた巨大な輪ゴムのようなものが立っている。子どもがそれを見た。暫くじっと見ていた。が、父親にそれを「何」とは訊かなかった。駅前に献血の車両が二台止まっている。白衣を着た女が出て来て、雨が落ちてきた空を見上げる。嵯峨野線の座席に腰を下ろした時、疲れを思ったのは階段を293段上がったからかもしれない。

 「七月六日より七夕祭とて竹の枝に、五色の紙を色紙たんざくに切りて結わい付け、屋上より空高く立つ。牽牛織女に奉る心なり。この竹を商うもの、竹の程よきものを荷ない、市中を売りあるく。「竹や竹」の声の響かざる所なし。毎戸裏店に至る迄、必ず求めけるなり。」(菊池貴一郎著『絵本江戸風俗往来』東洋文庫平凡社1965年)

 「側溝除染に漏れ、調査委設置 伊達市長、「真相究明する」」(平成26年7月5日 福島民友ニュース・minyu-net掲載)