姉小路通(あねやこうじどおり)を西に、JR二条駅を潜り、下ノ森通の先の住宅の立て込んだ中に、鳥居を十本ほど立てた小さな月光稲荷神社がある。この辺りにかつて徳川幕府天文台、京都西三条台改暦所があり、月光という名はこの天文台と関わりがありそうであると思うのであるが、平凡社の『日本歴史地名大系29 京都市の地名』(1979年刊)には、「二条御城廻。二条城の南西方にあり、東は上京の町地、南は壬生(みぶ)村、西は西京村、北は西京村・聚楽村・上京の町地にそれぞれ接する。━━寛政十年(1798)まで村落を形成せず、町方に住居する農民が出作いていた。宝暦八年(1758)十二月に、千本通三条上ル西側の畑地を借りて茶店が建ち、通行人に焼餅を商うようになったという(西村善雄文書)。寛政七年(1795)頃、字月光の一千五百坪の地が幕府の天文測量用地になり、年貢作徳料が下げられたが、同十年に天文台用地と建物を二条御城廻が引取ることになった。実測すると坪数は一千九六二歩あって、長屋・門番所・物置・御供待所などを仕切り直して住宅にし、周囲に高塀をめぐらせて、年寄と小百姓が移住した。そしてこの地を西三条台と称するようになった。二条御城廻は、こうして初めて集落となった京都で最も新しい農村である(同文書)。当時、天文台敷地の西方に屋敷神として稲荷が勧請されていたが、これは天保十年(1839)に西三条台の南東部に移建された。現在の月光稲荷神社である(同文書)。」とあり、天文台を建てた場所が「字月光」であり、勧請した屋敷神はその名をこの地名から採ったことが推測されるのであり、であればこの「字月光」とう地名はどこからやって来たのか、というと、詳(つまび)らかにしたものは見当たらない。「夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に 水引草に風が立ち 草ひばりのうたひやまない しづまりかへつた午(ひる)さがりの村道を うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた ━━そして私は 見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた…… 夢は そのさきには もうゆかない なにもかも 忘れ果てようとおもひ 忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには 夢は 真冬の追憶にうちに凍るであらう そして それは戸をあけて 寂寥(せきれう)のなかに 星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう」(「のちのおもひに」 立原道造)月光稲荷神社の鳥居には「月光稲荷大明神」という勇ましい響きの額が掲げられているが、教室で習い覚えたこの「のちのおもひに」という詩の中に「月光」はひっそりと置かれ、天文台でその係が見ていたものは日光ではなく、星と月であろうと思うのである。あるいは思い浮かぶ高柳重信の、「月光」旅館 開けても開けてもドアがある、はいかにも耽美に傾いた句であるが、口からついて出るのは忘れがたい何かがあるからだ。あるいは眞鍋呉夫の、寒月光われより若き父ふりむく、も頭で拵(こしら)え、そのセンスを競うような句であるが、同じ眞鍋の、月光にあはれ隈なき土ふまず、は生まれつきの偏平足の哀しみを詠っている。月光に遭ひしことなし大脳は 宗田安正。これも知の勝った句であるが、己(おの)れの意のままにならない己(おの)れの中にある臓器に対し、ささやかな己(おの)れの優位を思う、という価値の反転を鮮やかに示している。ひらひらと月光降りぬ貝割菜 川端茅舎。月光に子の夢はらふ咒(じゅ、呪)をしらず 下村槐太。たとえば銭湯からの帰りの夜、子どもが何かの夢を父親に云う。が、その夢はとても金がかかるものであり、叶えてやることが父親には出来そうもない。この子どもの夢を秘かに断念させる呪文でもあればよいのだが、父親はそのような都合のいい呪文など持ち合わせていないのである。大正三年(1914)、高濱虚子は月光にとどめを刺すような句を詠んでいる。地球凍てぬ月光これを照らしけり。月光稲荷神社の常夜燈に「他力成就」と彫ってあった。自ら光らない月のその光は、「他力成就」ということなのかもしれぬ。ちなみに昔の「字月光」の地名はいま、西ノ京西月光町である。

 「十八日。昨日ノ續キ。豫定通リ六時濵作着。淨吉ノ方ガ先ニ來テヰル。婆サン、予、颯子、淨吉ト云フ順ニ腰カケル。淨吉夫婦ハビール、予等ハ番茶ヲタムブラーニ入レテ貰フ。突キ出シニ予等ハ瀧川ドウフ、淨吉ハ枝豆、颯子ハモヅク。予ハ瀧川ドウフノ他ニ晒シ鯨ノ白味噌和ヘガ欲シクナツテ追加スル。刺身ハ鯛ノ薄ヅクリ二人前、鱧ノ梅肉二人前。鯛ハ婆サント淨吉、梅肉ハ予ト颯子デアル。燒キ物ハ予一人ダケガ鱧ノ附燒、他ノ三人ハ鮎ノ鹽燒、吸物ハ四人共早松(さまつ)ノ土瓶蒸シ、外ニ茄子ノ鴫燒。」(『瘋癲(ふうてん)老人日記』谷崎潤一郎 中央公論社1962年)

 「堆積物、厚さ0,8~1メートル 第1原発1号機格納容器調査」(令和4年6月24日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)