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 そのことを知っていた。しかし分からなかった。思えばそういうことになる。お中元を一か所だけ送らなあかんよって、そこからお中元もろてはるし、せやけど足が悪うて、コープ行きたいんやけどタクシーも金かかるしなあ。紺藍色朝顔が咲いている隣の軒先で、人を止めてしゃべりはじめる。暑うて仏壇のロウソクがひとりでに溶けてしもたという話もする。比叡山はさき一昨年行ったきりやという話もする。午までの天気が嘘のように雨が降り出し、乾ききらない干し物を取り込む。雨音が静まると、ピアノの音が聞こえて来る。いくつかの音符を弾きこなせないで躓き、音が止まる。某の文に日の暮れ方とあった。あるいは日の暮れた頃、であったかもしれない。隣から煮立つ鰹節の匂いがしてきたので、出掛けた。仕事を終えたサラリーマンが行き交う四条通の両の歩道に切妻屋根の笠を掲げ、左巴と五つ瓜唐花山鉾の名を記した提灯がぶら下がっていた。が、一筋上がれば、人影はまばらで、下がりも同じように通りはひっそりしていた。車の通る音の外は、何の音も聞こえて来ない。まだ日は空のどこかにあった。雨が落ちてきて傘を開き、止めば畳んだ。灯りの点った一軒の町屋の格子窓の奥に竜の屏風絵が見え、足を止めて顔を近づけた。ギャラリーのようだった。入り口戸から狐のような若い男が出て来て、中に誘ったので入った。靴を脱いで板間に上がり、芳名帳に名を書いた。前の行に芳不二とだけ記されていた。奥の間に円卓と座布団が置かれ、床の間に花の軸が下がっていた。小さな紙に題のようなものが書いてあったが、作者の名は無かった。狐のような男が作者なのかもしれない。万両が植わった坪庭があった。二階の間にも灰色の馬や竜の日本画があった。男に、祇園囃子の稽古はいつ頃はじまるのかと訊いてみた。さあ、そろそろじゃないですか、と狐のような男が横を向いた。外に出た。日が落ちて暗くなっていた。耳を澄ませながら歩いた。何も聞こえなかった。いささか疲れ、湿った石の上に座り、また歩いた。腹を切る前に三島由紀夫は云った。「われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。云々。しかし、あと三十分、最後の三十分待とう。」三十分歩きながら待った。新町綾小路から囃子の音が聞こえて来た。通りに面した町屋の二階の戸が払われ、浴衣姿の者たちが夜に浮かんでいた。チン、チン、ヒーヒャラ、トン、ヨーイ、ドッコイ。この音色は誰かが聞いた音色である。一度人の耳を通った音色である。そうでなければこの世にない。

 「その他のことが無益とは言わない。あとは各自が好きなように自由にやればいいので、ほかのどれよりもこの方法が一番ましなような気がする。」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳『ゴッホの手紙』岩波文庫1955年)

 「晴れ舞台で思い一つ フラガール50周年東京公演」(平成26年7月10日 福島民友トピックス・minyuーnet掲載)