十月の大廃屋に雲離離と 下村槐太。「離離(りり)」を辞書で引くと、このような白居易の詩の例が出て来る。「離離原上草 一歳一枯栄 野火焼不尽 春風吹又生(きれぎれに生い茂る野の草は年に一度枯れては生える。野火に焼け尽くされることなく、春風の吹くころまた地に生えるのだ)」十月のぼろ家屋の上空に何事もなく雲がきれぎれに棚引き浮かんでいる。『今昔物語集』に出て来る十月の廃屋には「何事」かがあった。「今は昔、宰相三善清行と云ふ人有りけり。世に善宰相と云ふ、此れなり。浄蔵大徳の父なり。万の事を知りて止事(やんごと)無かりける人なり。陰陽の方をさへ極めたりけり。而(しか)る間、五条堀川の辺(ほとり)に荒れたる旧家有りけり。悪しき家なりと人住まずして久しく成りにけり。善宰相、家無かりければ、此の家を買ひ取りて、吉き日を以て渡らむとしけるを、親しき族、此の由を聞きて、「強(あなが)ちに悪しき家に渡らむと為(す)る、極めて益無き事なり」とて制しけれども、善宰相聞き入れずして、十月の二十日の程に、吉き日を取りて渡りけるに、例の家渡の様には無くて、酉の時許(ばかり)に、宰相、車に乗りて、畳一枚許を持たせて其の家に行きにけり。行き着きて見れば、五間の寝殿有り。屋の体(てい)、立てけむ世を知らず。庭に大きなる松・鶏冠木(かへで)・桜・ときは木など生ひたり。木共も皆久しく成りて、樹神(こだま)も住みぬべし。紅葉する絡石(つた)這ひ懸かれり。庭は苔地にて掃きけむ世も知らず。宰相、寝殿に上りて、中の橋隠(はしかくし)の間を上げさせて見れば、障子破れ懸かりて皆損じたり。放出(はなちで)の方の板敷を拭(のご)はせて、持たせたりつる畳を中の間に敷きて、火を燃(とも)させて、其の畳に、宰相、南向に居て、車は車宿に引き入れさせて、雑色・牛飼などをば、「明旦(あくるあした)参れ」と云ひて返し遣りつ。」(巻二十七第三十一「三善清行宰相の家渡(いへわたり)の語(こと)」)その昔、三善清行という参議がいた。世にいう善宰相とはこの者である。浄蔵大徳の父で、何事にも通じた立派な人格者で、陰陽道にも深い見識があった。そのころ、五条堀川の辺りに荒れ果てた古い家屋があった。化け物が出る家だと云われ、長い間、住む者もいなかった。が、善宰相は持ち家がなかったので、この家を買って縁起の良い日を待って引っ越そうと考えていたが、これを耳にした親族の者らは「わざわざ化け物が出るウチに越すなど、まったくどうかしている」と云って止めたが、善宰相は耳を貸さず、十月二十日の吉日を選んで引っ越しをした。が、転居に際しての決まり事も踏まえず、午後六時ごろ、車に乗り、一枚の薄べりだけを従者に持たせ、その家に移って行った。着いた家は、五間四面の広さの寝殿を構えていた。いつ建てたものなのかは分からない。庭に太い松や楓や桜やその外の常盤木が生えていて、そのどれも木の精でも住みついているような老木で、紅く色づいた蔦が絡みついている。苔むした地面はいつ掃いたのかも分からないほど落葉が積もっている。寝殿に上った宰相が、真ん中の橋隠の間の蔀(しどみ)を開けさせ、中を覗くと、襖はどれもぼろぼろに破れている。放出(はなちで)の板敷を拭かせ、用意してきた畳を真ん中の一間に敷いて、明かりを灯させると、宰相は南を向いてその畳の上に腰を下ろし、車を車宿に仕舞わせると、雑色や牛飼いに「明日早朝に来い」と云って帰したのである。「宰相、只一人南向に眠り居たるに、夜半には成りぬらむと思ふ程に、天井の組入の上に物のこそめくを見上げたれば、組入の子毎(ごと)に顔有り。其の顔毎に替れり。宰相、其れを見れども騒がずして居たれば、其の顔皆失せぬ。亦暫し許有りて見れば、南の庇の板敷より、長(たけ)一尺許なる者共、馬に乗り次(つづ)きて、西より東様に四五十人許に渡る。宰相、其れを見れども騒がずして居たり。亦暫し許有りて見れば、塗籠(ぬりごめ)の戸を三尺許引き開けて女居ざり出でつ。居長(ゐたけ)三尺の女の、檜皮色の衣を着たり。髪の肩に懸かりたる程、極(いみ)じく気高く清気なり。匂ひたる香、艶(えもいは)ず馥(かうば)し。麝香(じやかう)の香に染み返りたり。赤色の扇を指し隠したる上より出でたる額つき、白く清気なり。額の捻りたる程、眼尻長やかに打引きたるに、尻目に見遣(おこ)せたる、煩(わづら)はしく気高し。鼻・口など何(いか)に微妙(めでた)からむと思ゆ。宰相白地(あから)目もせず守れば、暫し許居て居ざり返るとて扇を去(の)けたる、見れば、鼻鮮かにて、匂赤し。口脇に四五寸許銀(しろがね)を作りたる牙咋(く)ひ違ひたり。奇異(あさま)しき者かなと見る程に、塗籠に入りて戸を閉(た)てつ。宰相、其れにも騒がずして居たるに、有明の月の極めて明きに、木暗き庭より、浅黄の上下(かみしも)着たる翁の、平かに▢掻きたる文挟に文を指して、目の上に捧げて平(ひら)みて、橋の許に寄り来て跪きて居たり。其の時に、宰相音(こゑ)を挙げて、「何事申す翁ぞ」と問へば、翁、▢き皺枯れ小さき音(こゑ)を以申さく、「年来住む候つる所を、此(か)く居しめ給へば、大きなる歎と思ひ給へて、愁申さむが為に参りて候ふなり」と。其の時に宰相仰せて云はく、「汝が愁、頗(すこぶ)る当たらず。其の故は、人の家を領ずる事は、次第に伝へて得る事なり。而(しか)るを、汝、人の伝へて居るべき所を、人を愕(おび)やかして住ましめずして、押し居て領ずる、極めて非道なり。実(まこと)の鬼神と云ふ者は、道理を知りて曲(きよく)ならねばこそ怖しけれ。汝は必ず天の責(せめ)蒙(かうむ)りなむとす。此れは他に非ず、老狐の居て人を愕(おび)やかすなり。鷹犬一つだに有らば、皆咋(く)ひ殺させてむ物を、其の理(ことわり)慥(たし)かに申せ」と。其の時に翁申さく、「仰せ給ふ事、尤(もと)も遁(のが)るべき所無し。只昔より住み付きて候ふ所なれば、其の由を申すなり。人を愕やかし候ふ事は翁が所為(しよゐ)に非ず。一両(ひとりふたり)候ふ小童の、制し宣べ候へども、制止にも憚らずして、自ら仕(つかまつ)る事にや候ふらむ。今は此(か)くて御(おは)しまさば何(いか)が仕るべき。世間は隙間無く候へば、罷(まか)るべき所候はず。只大学の南の門の東の脇なむ、徒(いたづ)らなる地候ふ。許されを蒙(こうむ)りて其のところへ罷(まかり)渡らむは何(いか)が」と。宰相仰せて云はく、「此れ極めて賢き事なり。速かに一孫(いつそん)引き列れて其の所へ渡るべし」と。其の時に、翁、音(こゑ)を高くして答を為るに付きて、四五十人許の音なむ、散(さ)と答へける。夜暛(あ)けぬれば、宰相の家の者共迎に来ぬれば、宰相、家に返りて、其の後より此の家を造らせて、例の様にしては渡りてける。然(さ)住みける間、聊(いささ)かに怖しき事無くて止みにけり。然れば、心賢く智有る人の為には、鬼なれども悪事も否発(えおこ)さぬ事なりけり。思量(おもばかり)無く愚かなる人の、鬼の為にも被▢るなりとなむ、語り伝へたるとや。」(同)一人になった宰相が南を向いたまま座ってまどろんでいと、真夜中になろうという時、天井の組格子の上でごそごそ音がするので見上げると、格子の升目のどれもに顔があり、その顔はどれも違っている。宰相はそれを目にしても狼狽えずにいると天井の顔は消え失せた。そのままじっと様子をみていると今度は南の庇の板敷の上を、身の丈一尺ぐらいの小人が四五十人、馬に乗って西から東へ走って行く。宰相は驚くでもなく座っていた。それから暫くすると、塗籠の戸を三尺開け、一人の女が座ったまま出て来て、見れば身の丈三尺ほどのその女は檜わだ色の着物を着ていて、長い髪が肩にかかる様子は上品で美しく、その女から匂ってくる香りは何ともいえぬ芳ばしさで、宰相はたちまちその麝香の香りに包み込まれてしまった。赤い扇を開いて口元を隠しているが、色白の顔も美しく、顔にかかる髪を指でひねるような仕草や切れ長の目を流し目に見つめる様は気味が悪いほど気品がある。隠れている鼻や口元の美しさも思い知れるようだ。宰相が視線をそらさずそのままじっと見つめたままでいると、暫くして女はいざりながら戻りかけて思わず扇を口元からずらした。と、その顔は鼻が高く赤くつやつやしていて、左右の口元に四五本の銀色をした牙がくい違いに生えているのが見えた。奇っ怪な化け物と思っていると、女は塗籠に戻ってその戸を閉めた。それでも宰相は落ち着いて座っている。と、今度は有明の明るい月の光に照らされた庭の木立ちの蔭から浅黄の上下姿の翁が平頭し、「▢掻きたる文差し」に文を差して目の上に捧げ、平伏しながら階の下に進み寄り、跪いた。それを見た宰相は大声で、「そこの翁、何を申したい」と訊くと、翁は▢なしゃがれた小さな声で、「長年私どもが住んでおりますこの家にあなた様そのようにお住まいになられますれば、これは困ったことと存じ、どうにかお願い申し上げようと参上つかまつりました次第」と応える。それを聞いた宰相は、「お前のその訴えは的外れもいいところだ。理由は云うまでもなく、人が一軒の家を自分のものにするということは、みな正しい手続きを踏んでそうしているのだ。そうであるにも関わらず、その了解を取って住むところをお前は住まないように人を驚かせ身勝手に居ついている。まったく卑怯なことだ。本物の鬼神というのは、道理を知って、それでも曲がったことをしないからこそ恐ろしいのだ。お前のような手合いは罪を受けることは免れないぞ。ほらここに老狐が住みつき人を脅かしているぞ。鷹狩りの犬を一匹でも飼っていたらいますぐお前らを皆食い殺させるものを。何か云いたいことがあれば云ってみろ」翁はこう云われ、「仰られることはまったく弁解の余地もございません。ただ昔から住みついておりますところですから、わたくしどもの事情を申し述べたまででございます。人を脅かしたりしたのは翁の仕業ではございません。一人二人おります子どもが、止めるのもきかず勝手にしでかしたことでございましょう。ですがこうしてあなた様がおいでになったいま、わたくしどもはこれからどのようにいたしたらよいのでございましょう。世間のどこにも遊んでいる土地などございませんので、どこへも参る当てなどございませぬ。ですが、只一箇所大学寮の南門の東の脇に使っていない土地がございます。お許しを頂きましてそこへ移ろうかと存じますが、いかがなものでございましょうか」それを聞いた宰相は、「それは上出来の思いつきだ。今すぐに一族を連れて住み替えるがよかろう」と応えた。そして翁が大声で返事を返すのに応じて四五十人の応える声が一斉に上がった。夜が明け、宰相の家の者らが迎えに来ると、宰相は一旦家に戻り、その後、この家を改築し、儀礼に則って転居した。それからずっと住み続けたが、まったく恐ろしがるようなことは起こらなかった。であれば、賢明で知恵のある者にはたとえ鬼であっても悪事の手を下すことは出来ないのである。何も考えない愚か者だけが鬼のために騙されたりするのだ、と語り伝えられているということだ。化け物の去った屋敷から三善清行は十月の空に浮かぶきれぎれの雲を見上げただろうか。この善宰相が亡くなるのは宰相、参議になった翌年、この屋敷に転居した翌年である。同じ『今昔物語集』にある別の話には、「心」が「大廃屋」になった男が出て来る。「今は昔、▢国▢郡に住みける男有りけり。其の妻(め)、形美麗にして有様微妙(めでた)かりければ、夫、去り難く思ひて棲みける程に、妻夫(めのと)寝たりける間に、男の夢に見る様、此の我が愛し思ふ妻、我れに云はく、「我れ汝と相棲むと云へども、我れ忽ちに遥かなる所に行きなむとす。汝を今は見るべからず。但し我が形見をば留め置かむ。其れを我が替(かはり)に哀れむべきなり」と云ふと見る程に、夢覚めぬ。男、驚き騒ぎて見るに、妻無し、起きて近き辺(ほと)りに此れを求むるに無ければ、奇異(あさま)しと思ふ程に、本(もと)は無かりつるに、枕上に弓一張立ちたり。此れを見るに、「夢に形見と云ひつるは此れを云ひけるにや」と疑ひ思ひて、「妻、若(も)し尚や来たる」と待てども、遂に見えずして、夫恋ひ悲しぶと云えども、甲斐無し。「此れは、若し鬼神なんどの変化したりけるにや」と怖しく思ひけり。「然(さ)りとて今は何(いか)がはせむと為る」と思ひて、其の弓を傍に近く立てて、明暮妻の恋しきままには、手に取り搔巾(かきのご)ひなどして、身を放つ事無かりけり。然(さ)月来(つきごろ)を経る程に、其の弓、前に立ちたるが、俄かに白き鳥と成りて飛び出でて、遥かに南を指して行く。男、「奇異(あさま)し」と思ひて出でて見るに、雲に付きて行くを、男尋ね行きて見れば、紀伊国に至りぬ。其の鳥亦(また)人と成りにけり。男、「然(しか)ればこそ此れは只物には非ざりけり」と思ひて、其(そ)こよりぞ返りにける。然(さ)て男、和歌を読みて云はく、あさもよいきのかはゆすりゆくみづのいつさやむさやいるさやむさや と。此の歌、近来(ちかごろ)の和歌には似ずかし。「あさもよい」とは、朝物食ふ時を云ふなり。「いつさやむさや」とは、狩する野を云ふなり。此の歌は、聞く、何とも心得まじければなり。亦此の歌、奥恋(おくゆか)しく、現(げ)にとも思えぬ事なれども、旧(ふる)き記(ふみ)に書きたる事なれば、此(か)くなむ伝へたるとや。」(巻三十第十四「人の妻、化して弓と成り、後に鳥と成りて飛び失する語(こと)」)その昔、ある国のさるところに住む男がいた。その男の妻の容姿が稀に見る美しさだったので、夫は片時も離さず一緒に暮らしていたが、夫婦共に床に就いていた時、男がこんな夢を見た。この最愛の妻が己(おの)れに向かって、「わたしはあなたと一緒に暮らしてまいりましたが、今すぐに遥か遠くのさる場所へ行くことになりました。もうお目にかかることは出来ません。ですからせめてわたしの形見をここに残してゆきます。それをわたしと思って大切になさって下さい」と云ったかと思ううちに目が覚めた。それから男は驚いて隣りの床を見ると、妻の姿がないではないか。すぐ起きて辺りを捜したが妻は見つからない。不可思議なことだと思っていると、そんなものなどなかった枕元に弓が一張立て掛けてある。これを目にし、「夢の中で形見と云ったのはこれのことか」と、それでも疑いつつ、「妻が帰って来はしまいか」と待っていたが、二度と目の前に妻は現れなかった。夫は恋しければ悲しく、どうすることも出来なかった。「妻はもしかして鬼神のようなものが化けていたのであろうか」と思うと怖ろしくなったが、「いまとなってはどうしようもないこと」と思い、その弓を手の届くところに立てては明けても暮れても妻を恋しく思うあまり、手に取っては布で磨いたりして、身から離すこともなかった。そして幾月かが過ぎたある日、そばに立てておいた弓がにわかに白い鳥になって家から飛んで出ると、遥か南を指し飛んで行ったのだ。男は、「これはどうしたことか」と思って外に飛び出せば、鳥は雲に紛れるように飛び去った。男はその後を追った。やがて男は紀伊国に行き着いた。そして見つけたその鳥は目の前でまた人の姿になったではないか。男は、「案の定、あの女はただの女ではなかった」と思い、その場所から引き返したのである。その時男はこのような歌を詠んだ。朝もよい紀の川ゆすりゆく水のいつさやむさやいるさやむさや。この歌は、いま流行りの歌とはまるで似ていない。「あさもよい」とは朝の食事を摂る時をいい、「いつさやむさや」は狩りをする野をいうのである。この歌は、一度聞いただけでは何のことか意味が分からないので説明を加えてみた。またこの話のことは、もっと詳しく知りたいとも思うが、とても現実のこととも思われない。古い書物に書いてあることなので、その通りこう語り伝えているということである。白鳥となって雲の間に飛び去った妻を見た夫の「心」は空っぽになり、その鳥がまた人の姿に戻ってもその「心」の空っぽはもはや充たされなかった。同じように倭建命(ヤマトタケルノミコト)が白い鳥となって飛び去ったのは、恐らく十月の稲を刈った田圃の中である。第十二代景行天皇はその第三皇子である小碓命(オウスノミコト)に、「その御子の建(たけ)く荒き情(こころ)を惶みて(かしこみて、恐れて)詔(の)らししく、「西の方に熊曾建(クマソタケル)二人あり。これ伏(まつろ)はず(朝廷に従わない)礼(ゐや)なき人等ぞ。かれ(だから)、その人等を取れ(討ち殺せ)とのらし遣(つか)は」すと、小碓命は女の姿となって熊曾建を殺して名を倭建命と改め、次の「東の方十あまり二つの道の荒ぶる神(十二国の荒れすさぶ神)、またまつろはぬ人等を言向け和平(やは)せ」の命を、「これによりて思惟(おも)はば、なほ、あれすでに死ねと思ほしめすぞ(このことから天皇のお考えは、やはり私などとっとと死んでしまえとお思いなのです)」と受け取りながらも征伐を成し遂げ、なお幾つかの戦いを経て都へ戻る途中、伊服岐山(いぶきやま)で白猪に化けた山の神の逆鱗に触れ、雹攻めに遭うと倭建命の体力は杖に頼るまでに衰え、三重に辿り着いた時には足が餅のように腫れ上り、能煩野(のぼの)で、「はしけやし 我家の方よ 雲居立ちくも(懐かしい我が家の辺りから雲が湧いてくるなあ)」と歌を詠んで息絶える。「ここに(そこで)、倭(やまと、大和)に坐(いま)す后等(きさきたち)また御子等、もろもろ下り到りて(能煩野に下向して)、御陵(みはか)を作り、すなはち(そして)そこのなづき田(傍らにある田)に匍匐(は)ひ廻(もとほ)りて、哭(な)きて歌よみしたまひしく、なづき田の 稲がら(稲の茎)に 稲がらに 匍匐(は)ひ廻(もとほ)ろふ 野老蔓(ところづら) ここに、八尋白ち鳥に化(な)りて、天に翔(かけ)りて浜に向きて飛び行(いでま)しき。しかして(そこで)、その后また御子等、その小竹の苅り杙(くひ)に、足キり破れども、その痛さを忘れて、哭(な)きて追はしき。この時に歌ひたまひしく、浅小竹原(あさじのはら、丈の低い篠原) 腰なづむ(足腰が行き悩む) 空は行かず(空を飛ぶこともできず) 足よ行くな(歩くもどかしさよ)。 また、その海塩に入りてなづみ行きましし(海に浸かって難渋しつつ追って行く)時に、歌ひたまひしく、海処行けば、腰なづむ(行き悩む) 大河原の 植ゑ草(水草が揺れるように) 海処は(波間をゆくのは) いさよふ(足をとられて進まぬことよ)。また、(白鳥が)飛びてその礒(いそ)に居(いま)しし時に、歌ひたまひしく、浜つ千鳥 浜よは行かず(浜を飛んでいかず) 礒づたふ(磯伝いに飛んで行くことよ) この四つの歌は、みなその御葬(みはぶり)に歌ひき。かれ、今に至るまでに、その歌は、天皇(すめらみこと)の大御葬(おほみはぶり)に歌ふぞ。かれ、(白鳥は)その国より飛び翔(かけ)り行きて、河内の国の志幾(しき)に留(とどま)りましき。かれ、そこに御陵(みはか)を作りて鎮(しづま)り坐(いま)さしめき。すなはちその御陵を号(なづ)けて、白鳥(しらとり)の御陵(みささぎ)といふ。しかるに、またそこよりさらに天に翔(かけ)りて飛び行きしき。」(『古事記』)后等が篠竹の切っ先で足を傷つけ、海の波に腰まで浸かりながら追ったにもかかわらず、白鳥は飛び立ち、今度こそ見えなくなった。稲刈りのすんだ田圃の陵から飛び立った倭建命は十月の「雲離離」の彼方に永遠にその姿を隠したのである。十月や余所へもゆかず人も来ず 江佐尚白。

 「頼みの岸から突放されし捨小船。失望の沖に漂よひ無言の入江に到る。 欄干の外には帆を繰下す轆轤(ろくろ)の音、つぎつぎに高く響て、晩潮(ゆふしほ)が持参の河風、千鳥こそ鳴かね、夏も身に染みて扇子さへ骨休め程なく広間の此処彼処(ここかしこ)に夜を昼にさえ返す燈火(ともしび)の影、蝋燭白くして毛氈燃ゆるばかりの高座には、三面の琴長くつらねて静かに小川流るゝ━━音無川か‥‥井出の玉川‥‥岸の山吹影を映す。」(「風流京人形」尾崎紅葉『紅葉全集第一巻』岩波書店1994年)

 「処理水海洋放出賠償相談300件 東京電力、禁輸影響の業種中心」(令和5年10月6日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)