曼珠沙華かなしきさまも京の郊 石塚友二。北嵯峨の稲刈りの終った田圃の畦に赤い曼珠沙華が咲き出すとニュースになる。カメラが花の群れに近づけば、どの花の黄緑色の茎もどちらかに傾き合っていて、六枚の細く真っ赤な皺のある花弁は割れひろがる如くに反りかえり、長く突き出した雄蕊と雌蕊は弾けた火花の如くにつんと飛び出し、その五つ六つが茎の先でひと塊になっている。この道や中将姫の曼珠沙華 阿波野青畝。「この道」は奈良の當麻寺(ていまでら)に到る野道であろうか。右大臣藤原豊成の娘中将姫は継母に命を狙われるほど嫌われ、當麻寺で剃髪し、一夜で蓮の茎の糸で曼荼羅を織り、悟りを得た生きたままの中将姫に二十五菩薩が迎えに来たという。『梁塵秘抄』の中にこのような曼珠沙華の歌がある。「法花経弘めしはじめには、無数の衆生そのなかに、本瑞(ほんずい)所々に雲映れて、曼荼羅曼珠沙華の花ぞふる。」(「法花経廿八品謌序品五首その三」)これは『法華経』の真っ先の場面を詠った歌である。その場面の漢訳書き下しはこうである。「かくの如く、われ、聞けり。一時(あるとき)、仏は王舎城耆闍崛山(ぎしゃくつせん)の中に住したまい、大比丘(びく、修行者)衆、万二千人と倶(とも)なりき。皆、これ阿羅漢(あらかん、聖者)にして、諸(もろもろ)の漏(ろ、六根から過を漏らす、煩悩)を已(すで)に尽し、また煩悩なく、己(おのれ)の利を逮得(たいとく)し(涅槃の目的に達する)、諸の有結(ゆうけつ、様々な煩悩)を尽して、心に自在を得たり。その名を、阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)・摩訶迦葉(かまかしょう)・優楼頻螺迦葉(うるびんらかしょう)・伽耶迦葉(かやかしょう)・那提迦葉(なだいかしょう)・舎利弗(しゃりほつ)・大目揵連(だいもくけんれん)・摩訶迦旃延(まかかせんねん)・阿ヌ楼駄(あぬるだ、阿那律)・劫賓那(こうひんな)・憍梵波提(きょうぼんはだい)・離婆多(りはた)・畢陵伽婆蹉(ひつりょうがばしゃ)・薄拘羅(はくら)・摩訶拘絺羅(まかくちら)・難陀(なんだ)・孫陀羅難陀(そんだらなんだ)・富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)・須菩提(しゅぼだい)・阿難(あなん)・羅睺羅(らごら)という。かくの如き、衆に知識せられたる大阿羅漢等なり。また、学・無学の二千人あり。摩訶波闍提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)は眷属(けんぞく、一族)六千人と俱なり。羅睺羅(らごら)の母耶輸陀羅比丘尼(やしゅだらびくに)も亦、眷属と俱なり。菩薩・摩訶薩(まかさつ)、八万あり、皆、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい、無上なる仏の悟り)において退転せず、皆、陀羅尼(だらに、善法を散じしめず悪法を起こらしめざる力用)を得、楽説弁才(ぎょうせつべんざい、衆生の楽欲に従って自在に法を説く智力)ありて不退転の法輪を転じ、無量百千の諸仏を供養して諸仏の所において衆(もろもろ)の徳本(とくほん、仏となるためのあらゆる善の根本)を殖(う)え、常に諸仏に称歎せらるることを為(え)、茲(ここ)を以て身を修め、善く仏慧(ぶつて)に入り、大智に通達し、彼岸に到り、名称、普(あまね)く無量の世界に聞こえて、能く無数百千の衆生を度せり(渡し運ぶ)。その名を文殊師利菩薩・観世音菩薩・得大勢菩薩・常精進菩薩(じょうしょうじんぼさつ)・不休息菩薩(ふくそくぼさつ)・宝掌菩薩(ほうしょうぼさつ)・薬王菩薩・勇施菩薩(ゆうぜぼさつ)・宝月菩薩(ほうがつぼさつ)・月光菩薩(がっこうぼさつ)・満月菩薩・大力菩薩・無量菩薩・越三界菩薩(おつさんがいぼさつ)・颰陀婆羅菩薩(ばつばらぼさつ)・弥勒菩薩(みろくぼさつ)・宝積菩薩(ほうしゃくぼさつ)・導師菩薩という。かくの如き等の菩薩・摩訶薩(まかさつ)、八万人と俱なりき。その時、釈提桓因(しゃくだいかんにん、帝釈)は、その眷属二万の天子(てんじ)と俱なり。また名月天子(みょうがつてんじ)・普香天子・宝光天子・四大天王ありて、その眷属万の天子と俱なり。自在天子大自在天子は、その眷属三万の天子と俱なり。娑婆世界の主たる梵天王・尸棄大梵(しきだいぼん)・光明大梵等は、その眷属万二千の天子と俱なり。八竜王あり、難陀竜王跋難陀竜王(ばつなんだりゅうおう)・娑伽羅竜王(しゃからりゅうおう)・和脩吉竜王(わしゅきつりゅうおう)・徳叉迦竜王(とくしゃかりゅうおう)・阿那婆達多竜王(あなばだったりゅうおう)・摩那斯竜王(まなしりゅうおう)・優鉢羅竜王(うはつらりゅうおう)等にして、各(おのおの)、若干の百千の眷属と俱なり。四緊那羅王(きんならおう)あり、法緊那羅王・妙法緊那羅王・大法緊那羅王・持法緊那羅王にして、各、若干の百千の眷属と俱なり。四乾闥婆王(けんだつばおう)あり、楽乾闥婆王(がくけんだつばおう)・楽音乾闥婆王・美乾闥婆王・美音乾闥婆王にして、各、百千の眷属と俱なり。四阿脩羅王(あしゅらおう)にして、各、婆稚阿脩羅王(ばちあしゅらおう)・佉羅騫駄阿脩羅王(からけんだあしゅらおう)・毗摩質多羅阿脩羅王(びましつたらあしゅらおう)・羅睺阿脩羅王(らごあしゅらおう)にして、各、若干の百千の眷属と俱なり。四迦楼羅王(かるらおう)あり。大威徳迦楼羅王・大身迦楼羅王・大満迦楼羅王・如意迦楼羅王にして、各、若干の百千の眷属と俱なり。韋提希(いだいけ、頻婆娑羅王の后妃)の子阿闍世王(あじゃせおう)は、若干の百千の眷属と俱なり。各、仏足を礼(らい)し、退いて一面に坐せり。その時、世尊は、四衆に囲遶(いにょう)せられて供養せられ、恭敬(くぎょう)せられ、尊重(そんじゅう)せられ、讃嘆(さんだん)せられしをもって、諸の菩薩の為に、大乗経の無量義・菩薩を教える法・仏に護念せらるるものと名づけるを説きたもう。仏はこの経を説き已(おわ)って結跏趺坐(けっかふざ)し、無量義処三昧に入りて、身心動じたまわざりき。この時、天は曼荼羅華・摩訶曼荼羅華・曼殊沙華(まんじゅしゃけ)・摩訶曼殊沙華を雨(ふら)して仏(ぶつ)の上及び諸の大衆に散じ、普(あまね)く仏の世界は六種(動・起・湧・覚・震・吼)に震動す。その時、会(え)の中の比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)と天・竜・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿脩羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅迦(まごらが)との人・非人と及び諸の小王・転輪聖王(てんりんじょうおう)との、この諸の大衆は未曾有なることを得て、歓喜し合掌して一心に仏を観たてまつる。その時、仏は眉間白毫相(みけんびゃくごうそう)より光を放ちて東方万八千の世界を照らしたもうに、周遍(しゅへん)せざることなく、下は阿鼻地獄に至り、上は阿迦尼吒(あかにた、色界最高の)天に至る。」(『法華経岩波文庫1962年刊)「空より花降り地は動き、仏の光は世を照らし、弥勒文殊は問ひ答へ、法花を説くとぞ予(かね)て知る。」(『梁塵秘抄』法花経廿八品謌序品五首その一)おのれにこもればまへもうしろもまんじゅさげ 種田山頭火。ありふれし明日来るならひ曼珠沙華 斎藤玄。「古(いにしへ)童子の戯れに、砂(いさご)を塔となしけるも、仏になると説く経を、皆人持(たも)ちて縁結べ。」(『同』法花経廿八品方便品九首その七)「我等は薄地(はくち)の凡夫なり、善根勤むる道知らず、一味(如来の本旨)の雨に潤ひて、などか仏にならざらん。」(『同』法花経廿八品薬草喩品四首その四)「極楽浄土は一所(ひとところ)、つとめなければ縁遠し、我等が心の愚(おろか)にて、近きを遠しと思ふなり。(『同』法花経廿八品極楽哥六首その一)「仏も昔は人なりき、我等も終(つゐ)には仏なり、三身法身・報身・応身)仏性具せる身と、知らざりけるこそあはれなれ。」(『同』法花経廿八品雑法文哥五十首その四十四)北嵯峨から住宅道を辿り三条通を越えて南に下った嵯峨野小学校でも南太秦小学校でもその月末の日曜日は町内運動会の日で、近づく空にざわめきが響き渡っていた。次の競技者を集める中年女のアナウンスがあり、ピストルの火薬が鳴ると応援の声が上がり、その終わりを告げるピストルが鳴り、ひとしきり歓声が上がる。フェンス越しの並ぶテントの下に立つ人影の間から、走る姿やものを投げ入れる姿がちらちら見える。南太秦小のすぐ傍らの田圃は稲刈りをしたばかりのようで、辺りに稲藁の匂いが漂っていた。「はかなきこの世を過ぐすとて、海山かせぐとせし程に、萬(よろづ)の仏に疎(うと)まれて、後生我が身をいかにせん。」(『同』法花経廿八品雑法文哥五十首その五十)頼りないこの世を何とか生きてゆくために海でも山でも仕事に精を出せば出すほどどの仏様とも疎遠になってしまい、では来世ではどう生きればよいのか。「遊びをせんとや生れけむ、戯(たはぶ)れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ。」(『同』四句神哥雑八十六首その四十四)子を走らす運動会後の線の上 矢島渚男。

 「丁度その頃、朝日が射した。朝日は、向って左の、祭壇脇の硝子戸に当って、花やかに輝いた。それはその場に誂(あつら)え向きの光景を現出した。若(も)しその硝子戸が、古風な色絵硝子ででもあったなら、一層誂え向きであったろう。僕は、仏蘭西(フランス)あたりの小説のどれかに、これと同じ光景が描かれてあったような気がした。朝日の光は、会堂の中をパッと明るく照らした。赤く焼けたような光だった。それは、神の来迎した姿とも思われた。その時に到って、僕は初めて一種の宗教的陶酔を覚えながら、昂然(こうぜん)とした気持ちで、心の中では一堂の会衆を眼下に見下しながら、呟くともなく呟いた。「自分は、如何(いか)なる基督(キリスト)教徒よりも、基督教徒的でありたい。」(「聖ヨハネ病院にて」上林暁『昭和文学全集14上林暁 他』小学館1988年)

 「処理水、2回目放出10月5日開始 東電、17日間想定780トン」(令和5年9月29日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)