紫苑にはいつも風あり遠く見て 山口靑邨。紫苑ゆらす風青空になかりけり 阿部みどり女。「紫苑 しおん、しおに、鬼の醜草(しこぐさ)。キク科に属する、わが国原産の草花。草丈は二メートル以上になるものもあり、葉茎ともに表面がざらついている。葉は大きく長楕円状で先はとがり、葉柄をもっている。茎の上部に多くの枝をわかち、野菊に似た花をたくさんつける。花色も野菊と同じく、舌状花(花弁と思える部分)は淡紫色であり、管状花(花の中央部分)は黄色である。花期は仲秋、台風にも強く、美しい花を高く咲かす。」(『カラー図説日本大歳時記』講談社1983年刊)この説明にある「野菊」という名の花はなく、野に自生するキク科の花々を無雑作に見たままに「野菊」というのであり、その「野菊」の中で嫁菜の花が最も紫苑の花に似ている。謡曲大江山」に紫苑が出て来る。都の幾人もの女を攫(さら)い不安に陥(おとしい)れていた酒呑童子を討つべく、「抑これは源の頼光とは我が事なり。さても此度丹波の国、大江山の鬼神の事、占方の詞に任せつゝ、頼光保昌に仰せつけら」れ、家臣を引き連れ山伏に化けた源頼光藤原保昌大江山に辿り着く。酒呑童子に喰い殺された者の衣の血を川で濯いでいた、これも酒吞童子に攫われたという女の手引きで一行はその住まいに通される。と、酒吞童子は頼光に、「比叡山に生まれ住んでいたが、最澄という坊主のせいでついに故郷を追われ、放浪の身となってこの山に住みつくようになったのだ。が、またしても人の目の前に我が身を晒すことになった」と云えば、頼光は決して他言しないと誓い、その言葉に気を許した酒呑童子は頼光らを酒でもてなすのである。「陸奥の、安達原の塚にこそ、安達原の塚にこそ、鬼こもれりと聞きしものを。真(まこと)なる真なるこゝは名をえし(名だたる)大江山。生野の道は猶遠し。天の橋立与謝の海、大山の天狗も、われに親しき、友ぞと知しめされよ。いざいざ酒を飲まうよ、酒を飲まうよ。偖(さて)お肴は何々ぞ。頃しも秋の山草桔梗刈萱破帽額(われもこう)。紫苑といふは何やらん。鬼の醜草とは、誰がつけし名なるぞ。げに真(まこと)。げに真。丹後丹波の境なる、鬼が城も程近し。頼もし頼もしや、飮む酒の科(とが)ぞ。鬼とな思しそよ。恐れ給はで、われに馴れ、われに馴れ給はば、興がる友と思しめせ。われもそなたの御姿。出ち見には、出ち見には、恐ろしげなれど、馴れてつぼい(その場に馴染んだ)は山伏。猶々めぐる盃の、度重なれば有明の、天も花に酔へりや。足もとはよろよろと、ただよふかいざよふか。雲折り敷きて其まゝ目に見えぬ鬼の間に入り荒海の障子おし明けて、夜の臥処に入りにけり、夜の臥処に入りにけり」そして夜が明け、酔いから醒めた酒吞童子は頼光に斬り伏せられ、鬼退治は成功する。「紫苑といふは、何やらん。鬼の醜草とは、誰がつけし名なるぞ」と酒呑童子は歌ったが、大伴家持にこのような歌がある。「大伴宿禰家持贈坂上大嬢(おほいらつめ、長女)歌二首(の内のその一) 萱草(わすれぐさ) 吾下紐尓(わがしたひもに) 著有跡(つけたれど) 鬼乃志許草(しこのしこくさ) 事二思安利家理(ことにしありけり)」(『万葉集』) 萱草を下衣の紐につけるとものごとを忘れることが出来るというからつけてみたけれど、とんだ食わせ物の草だ、忘れることなど出来やしない、忘れ草とは名ばかりだ、と家持は詠っているのである。が、『今昔物語集』のこの萱草と紫苑の話はそうではない。「今は昔、▢国▢郡(こほり)に住む人有りけり。男子(をのこご)二人有りけるが、其の父失せにければ、其の二人の子共恋ひ悲しぶ事、年を経(ふ)れども忘るる事無かりけり。昔は失せぬる人をば墓に納めけば、此れをも納めて、子共、親の恋しき時には打具して彼の墓に行きて、涙を流して、我が身に有る憂(うれへ)をも歎(なげき)をも、生きたる祖(おや)などに向ひて云はむ様に云ひつつぞ返りける。而(しか)る間、漸く年月積りて、此の子共公に仕へ、私(わたくし)を顧(かへりみ)るに堪へ難き事共有りければ、兄が思ひける様、「我れ只にては思ひ▢べき様無し、萱草(くわんざう)と云ふ草こそ、其れを見る人思(おもひ)をば忘るなれ、然(さ)れば、彼の萱草を墓の辺(ほとり)に殖ゑて見む」と思ひて殖ゑてけり。其の後、弟、常に行きて、「例の御墓へや参り給ふ」と兄に問ひければ、兄、障(さはり)がちにのみ成りて、具せずのみ成りにけり。然れば弟、兄を糸心疎(いとこころう)しと思ひて、「我れ等二人して祖(おや)を恋ひつるに懸かりてこそ、日を暗し夜を曙(あか)しつれ、兄は既に思ひ忘れぬれど、我れは更に祖(おや)を恋ふる心忘れじ」と思ひて、「紫苑と云ふ草こそ、其れを見る人、心に思(おぼ)ゆる事は忘れざなれ」とて、紫苑を墓の辺に殖ゑて、常に行きつつ見ければ、弥(いよい)よ忘るる事無かりけり。此様(かやう)に年月を経て行きける程に、墓の内に音(こゑ)有りて云はく、「我れは汝が祖(おや)の骸(かばね)を守る鬼なり。汝怖るる事無かれ。我れ亦(また)汝を守らむと思ふ」と、弟、此の音(こゑ)を聞くに、極めて怖しと思ひながら、答(いらへ)も為(せ)で聞き居たるに、鬼亦云はく、「汝、祖(おや)を恋ふる事、年月を送ると云へども替る事無し。兄は同じく恋ひ悲しみて見えしかども、思ひ忘るる草を殖ゑて、其れを見て、既に其の験(しるし)を得たり。汝は亦紫苑殖ゑて、亦其れを見て、其の験(しるし)を得たり。然れば我れ、祖(おや)を恋ふる志の懇(ねんご)ろなる事を哀れぶ。我れ鬼の身を得たりと云へども、慈悲有るに依りて、物を哀れぶ心深し。亦日の内の善悪の事を知れる事明らかなり。然れば我れ、汝が為に、見えむ所有らむ、夢を以て必ず示さむ」と云ひて、其の音(こゑ)止みぬ。弟泣く泣く喜ぶ事限無し。其の後は、日の中(うち)に有るべき事を夢に見る事、違(たが)ふ事無かりけり。身の上の諸(もろもろ)の善悪の事を知る事、暗き事無し。此れ祖(おや)を恋ふる心の深き故(ゆゑ)なり。然れば、喜(うれ)しき事有らむ人は紫苑を殖ゑて常に見るべし、憂(うれへ)有らむ人は萱草を殖ゑて常に見るべしとなむ、語り伝へたるとや。」(「兄弟二人、萱草と紫苑とを植うる語(こと)巻第三十一第二十七」)その昔、▢国▢郡のある者に二人の息子がいたが、その父親が亡くなると、二人の兄弟はひどく悲しみ、何年経っても父親のことを忘れることが出来なかった。かつては人が亡くなると土葬にしたので、その二人も父親の遺骸を土に葬り、そして父親を恋しく思えば揃って墓に参り、涙を流しながら自分の憂いや歎きを目の前に父親がいる如くに話しかけては帰って行った。そのように日を過ごすうちに、何年かが過ぎ、二人は朝廷に仕えるようになると、自分ごとに心をかまける暇もなくなっていった。が、ある時兄は、「私はこのままでは落ち着いて心を慰めることが出来そうもない。萱草という草は、それを目にすると思っていることを忘れることが出来るというらしいので、父の墓の回りに植えてみようか」と考え、植えることにした。そんなことがあった後、弟が兄の家に行けば(いつもそうしていたように)「お墓参りにいきませんか」と兄を誘っていたのだが、近ごろは兄から、差し障りがいくつか重なっていていまは一緒に行けない、という返事が返ってくるばかりで、次第に一緒に行かなくなった。そうなると弟は兄を薄情な人だと思い、「私たち二人は、父親を恋い慕うという気持ちを心の拠りどころとして日を暮らし夜を明かして来たのに、兄さんはもうこのことを忘れてしまったのかもしれないけれど、私は父を思う気持ちを忘れまい」と思い、「紫苑という草があって、それを見た人は、心に思うことはいつまでも忘れないということだ」と思いつき、紫苑を墓の回りに植え育てたので、弟は父親をいよいよ忘れることがなかった。そのようにして月日が過ぎていったある日、墓の下から声が聞こえて来て、こう云った。「俺はお前の父親の亡骸を守っている鬼だ。怖がることはない。俺がお前のことも守ってやろう」弟はその声を聞くとたちまち怖ろしくなったが、何も応えずにいると鬼がまた、「お前が自分の父親を恋い慕う気持ちは何年経っても変わっていない。一方お前の兄も同じように恋い悲しんでいるように見えたが、その思いを忘れる草を植えたから、思い通りになってしまった。お前は紫苑を植え、お前も思い通りになった。そうであれば俺は、お前の父親を思う気持ちの等し並みではなことに心を打たれたのだ。俺はこのように鬼の姿になっているが、それゆえ慈悲の心は人一倍深いのだ。それから、俺はその日のうちに生じる善悪を過(あやま)たず予知することが出来る。だから俺は、お前のために予知することがあれば、夢で必ず知らせてやろう」と云うと、声はぴたりと止んだ。弟はそれを聞いて鬼に泣いて感謝したのである。それから弟はその日に起るはずのことを夢に見たが、それはどれもまったくその通りになった。そして自分の身に起る善悪のすべてをあらかじめ知ることが出来たのである。つまり父親を恋い慕う心が深かったからこそそうなったのであり、そうであれば、悦ばしいことを持つ者は、紫苑を植えいつでも目にすればそれを忘れず、心配ごとのある者は、萱草を植え目にしていれば忘れることが出来るのだ、と語り伝えているということである。この「兄弟二人、萱草と紫苑を殖うる語」では萱草によって忘れることが出来、紫苑によっていつまでも忘れずにいることが出来た。そうであれば、忘れずにいる草である紫苑が「鬼の醜草」なのである。嵯峨天皇陵に近い、北嵯峨の奥まった農家の畑の瓢箪の蔓が絡まるフェンスの内に見上げるような紫苑が何本も風に吹かれていた。この農家は忘れずにいる悦びを幾つも抱えているのかもしれぬ。

 「その夜、私は下駄屋の夢をみた。下駄屋といっても鼻緒のきれた古下駄ばかりならべている店で、どうやらその店に坐っている主人が私のようであった。恐ろしく殺風景な夢であったが、一度眼がさめると容易にねつけなかった。」(青い虫」木山捷平木山捷平全集第四巻』講談社1979年)

 「東京電力、処理水拡散状況検証へ 海洋放出2カ月、傾向を確認」(令和5年10月18日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)