四十数年NHKの朝のラジオ体操を欠かしたことがないという呉林某という者のメールの紹介が、枕元のラジオから流れて来て、目が覚めた。今日も、旅先の京都の旅館で体操をやると云う。加えて、錦市場での買い物が楽しみと、メールの付け足しをアナウンサーが読んだ。五山の送り火を見た翌朝のことである。この日錦市場に行く予定があった。六時半、ラジオ体操のテーマ曲が流れて来る。「新しい朝が来た 希望の朝だ」呉林某も、ピアノ伴奏に合わせ体操を始めているのであろう。旅館であるとすれば、寝ていた布団を自ら畳んで部屋の隅に押しやり、体操に支障のないスペースを確保する。恰好は、浴衣姿で構わない。窓はガラリと開け放つ。窓の向きは、京都であれば東が理想であろう。東山の夏の朝の緑と対峙し、乱れた浴衣も気にせぬ体操も、旅ならではの醍醐味である。体操第2のからだをねじる運動は、開いた両足を動かさぬよう、腕を大きく水平に振り、顔と背骨を充分にねじることで、腰の圧迫を取り除くと共に血行をよくするという。朝の十時過ぎ、錦市場に行った。錦市場に行くことは、呉林某という人物と出会う可能性があるということである。可能性とは、生きている者すべての特権である。呉林某の年も容姿も、ラジオは伝えなかった。手がかりは、四十数年ラジオ体操を毎朝欠かすことなく続けているということだけである。そのような人物が京の台所錦市場を訪れる時間を現実として想像すれば、昼過ぎの混雑を避けた午前、大方の店が開く十時から十一時の間が、試食の千枚漬けを頬張る呉林某と出会う確率が最も高いのではないか。呉林某が何者で、これまでどのような人生を経て来たのかを何も知らなくとも。遥か向こう、そぞろ歩きの人の後ろに見え隠れしている人物が、呉林某かもしれない。

 「ぼんさん頭は まるたまち つるっとすべって たけやまち 水の流れは えびすがわ にじょうで買うた生薬を ただでやるのはおしこうじ おいけで会うたあねさんじょうに 六銭もろうてたこ買うて にしきで落として しかられて あやまったけど ぶつぶつと たかがしれてる まどしたろ」(「京のわらべ唄」井之口有一堀井令以知編『京ことば辞典』東京堂出版1992年)

 「トレンチ凍結「失敗」 第1原発2号機、止水材投入へ」(平成26年8月20日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)