一月二十五日の朝、京都も「雪化粧」するほどの雪が降った。蕪村に「宿かせと刀投出す雪吹哉(ふぶきかな)」という印象深い句があるが、芭蕉が詠んだ「雪」の句はどうであろう。「はつゆきや幸(さいはひ)庵にまかりある」待ちに待った初雪を己(おの)れの庵で見ることができた喜び。「初雪や水仙のはのたはむまで」「時雨をやもどかしがりて松の雪」もどかしい思いで見ていた時雨が漸(ようや)く雪となった思い。「しほれふすや世はさかさまの雪の竹」子に先立たれた知り合いに宛てて詠んだ句。「霰まじる帷子(かたびら)雪はこもんかな」ひらひら降ってくる雪が布地の小紋の模様のようだ。「今朝の雪根深を薗の枝折哉」葱が雪表の道案内。「黒森をなにといふともけさの雪」「山は猫ねぶりていくや雪のひま」この二句は「陸奥名所句合」にあり、白と黒の取り合わせの黒森は山形、猫は磐梯山猫魔ヶ岳をいい、雪を舐めて融かしたと詠う。「箱根こす人も有(ある)らし今朝の雪」「磨(とぎ)なをす鏡も清し雪の花」「ためつけて雪見にまかるかみこ哉」紙衣の皺を伸ばしていざ雪見に出かけよう。「いざさらば雪見にころぶ所迄」その辺りまでの雪見を浮き浮きした気持ちで大袈裟にこう云ったのである。「波の花と雪もや水にかえり花」「富士の雪廬生(ろせい)の夢をつかせたり」中国唐の生きる目的を失った廬生が邯鄲で枕を借りて見た栄華の夢の、続きのような富士山だ。「一尾根はしぐるゝ雲かふじのゆき」「雪の朝独リ干鮭(からざけ)を噛得タリ」端書に、富者は肉を喰い体の丈夫な者は菜根を喰うが私はひとり貧しい暮らしをしていて、とある。干鮭を嚙み切って喰う芭蕉の生きながらえている思い。「夜着(よぎ)は重し呉天に雪を見るあらん」中国宋の閩(びん)僧可士の「笠は重し呉天の雪、鞋(くつ)は香ばし楚地の花」の詩を踏まえた句。「冬牡丹千鳥よ雪のほとゝぎす」冬牡丹を目にしながら耳にした千鳥の声はさながら雪の季節のホトトギスのようだ。「馬をさへながむる雪の朝哉(あしたかな)」端書に、旅人をみる、とあり、その主(あるじ)を乗せる馬にまでしみじみ心を寄せている。「市人よ此笠うらう雪の傘」被っている笠を雪がつもったままこの市で売ったら売れるであろうか。「雪と雪今宵師走の名月歟(か)」仲違いの仲裁をした時の句であるという。「雪の中は昼顔かれぬ日影哉」昼顔が日光を浴びたように雪の中で咲き誇っているという芭蕉の想像世界。「きみ火をたけよき物見せん雪まろげ」寒い日に訪れた友よ、炉の火を熱くしてあたっていてくれ、私はその間外に出て雪を丸めて大きくしてみせるから。「酒のめばいとゞ寝られぬ夜の雪」いとゞはますます。「京まではまだ半空や雪の雲」「ゆきや砂むまより落て酒の酔」落馬して雪まみれ砂まきれになった酔っ払い。「二人見し雪は今年も降(ふり)けるか」「米買に雪の袋や投頭巾」入れ物の袋を頭巾のように被って雪の中米を買いに行くのだ。「たはみては雪まつ竹のけしきかな」「ひごろにくき烏も雪の朝哉(あしたかな)」「少将のあまの咄(はなし)や志賀の雪」端書に、智月といふ老尼のすみかを尋ねて、とある。中宮少将は後堀河天皇に仕えた藤原信実の女(むすめ)、歌人。「雪ちるや穂屋(ほや)の薄の刈残し」穂屋は諏訪の収穫祭の薄で出来た仮小屋。蕭条たる景色。「貴(たふと)さや雪降(ふら)ぬ日も蓑と笠」年中蓑と笠を身につけていたという小野小町の晩年の姿。「比良みかみ雪指(さ)シわたせ鷺の橋」琵琶湖を挟んだ比良山と三上山の間を飛ぶ鷺に雪の橋を見た。「雪をまつ上戸(じょうご)の顔やいなびかり」嬉しそうな酒飲みの顔が雷に驚き皆笑う。「初雪やかけかゝりたる橋の上」端書に、深河大橋半(なかば)かゝりける比(ころ)とある。「庭はきて雪をわするゝはゝきかな」庭を掃いて雪を忘れる箒かな。箒を手にしているのは「寒山拾得」の寒山、その箒はもうそこに雪があったことを覚えていない、あるいは雪のことなどもはやどうでもいい。この四十句が芭蕉の詠んだ「雪」の句のすべてである。どこかもの足らぬものがあるのは、芭蕉ですら「雪」を詠み得なかったということか。ちなみに芭蕉の弟子とその頃の「雪」の句はこのようなものである。さればこそ夜着重ねしが今朝の雪 伊藤信徳。薄雪の笹にすがりて雫かな 夏目成美。ながながと川一筋や雪の原 野沢凡兆。はつゆきや雀の扶持の小土器(こかわらけ) 宝井其角。初雪やしぐれの雲の古ふなる 横井也有。初雪や稲の古株一つづゝ 小菅蒼狐。狼の声そろふなり雪のくれ 内藤丈草。馬の尾に雪の花散る山路かな 各務支考。足元も遠山も見よ雪の松 天野桃隣。つめたきは目の外にあり今朝の雪 千代女。うつくしき日和(ひより)になりぬ雪のうへ 炭太祇。遥かなる火にあたりけり夜の雪 大島蓼太。青雲や大虚に雪の降(ふり)のこり 加藤暁台。そして時下れば、雪に来て美事な鳥のだまり居る 原石鼎。下京や風花遊ぶ鼻の先 沢木欣一。犬を呼ぶ女の口笛雪降り出す 西東三鬼。地の涯(はて)に倖(しあわ)せありと来しが雪 細谷源二。

 「もう日は暮れかかっていたが、ついでのことに私は大覚寺まで足をのばした。お寺は既にしまっていたが、白壁の塀にそって右手へ廻ると、「大沢の池」のほとりへ出る。久しぶりに見る大沢の池は、夕靄の中にしっとりと静まって、北嵯峨の山々が夢のように浮び、平安期の雰囲気を満喫させてくれる。」(『西行白洲正子 新潮文庫1988年)

 「デブリ採取、年度内の着手断念 取り出し方法変更で3度目の延期」(令和6年1月26日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)

 嵐山、広沢池と京都府立植物園