読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

 こきりこの竹は七寸五分じゃ 長いは袖のカナカイじゃ。こきりこ節はこうはじまり、窓のサンサもデデレコデン はれのサンサもデデレコデン、と囃子が入る。こきりこ節は、富山県五箇山地方に伝わる謡である。竹の寸が七寸五分よりも長ければ、踊る時に袖の邪魔になり、それよりも短ければ理想の音が出ない。踊りに加わる時には、自分で切った二本の七寸五分の竹を用意するのである。踊りたか踊れ泣く子をいくせ(渡せ) ササラは窓の許にある。踊りに使うもう一つのササラという楽器は、窓の許にある、という。囃子にも窓という言葉が使われ、ここでも窓が出て来る。五箇山地方は合掌造りの家が立ち並ぶ豪雪地帯である。窓は、窓明りへの特別の思いの表れなのかもしれない。窓のサンサのサンサは、桟であるといい、囃子に意味はないともいうが、デデレコデンと音を響かせる太鼓が革を張ったものであれば、はれのサンサは、障子を張った桟なのかもしれない。向の山を担(かづ)ことすれば 荷縄が切れてかづかれむ。向の山に啼く鵯は 啼いては下がり啼いては上がり。 朝草の刈りの目をばさます 朝草の刈りの目をさます。月見て歌ふ放下(ほうか・辻芸)のコキリコ 竹の夜声の澄みわたる。万(よろず)のササイ(些細)放下すれば 月は照るなり霊祭。波の屋島を遁れ来て 薪樵るてふ深山辺に。烏帽子狩衣脱ぎ棄てて 今は越路の杣刀。哲学の道が沿う水の流れに、名前は付けられていない。琵琶湖疏水の流れとして、疏水分線と呼ばれているだけである。水は、西を流れる鴨川白川の流れとは逆に、北に向かって流れ、賀茂川と合流する高野川に注いでいる。哲学の道に植えられている桜はみな葉を落としていた。足を止めて佇めば寒く、歩いていても水の流れから寒さがやって来た。山茶花が流れに顔を背けるように花をつけ、赤い実をつけた南天の枝が、水の上でしな垂れていた。年老いた母娘が道端で焼き栗を売っていた。行く者も来る者も、その前で足を止めなかった。流れに架かる洗心橋を渡った先の、法然院で、見ていた池に雨が落ちて来た。傘がある者は傘を広げた。辞書の権威を借りれば、哲学は、人生世界の根本原理を求める学問であるという。ギリシャ哲学は、よく生きようとする努力と結びついた人間的・神的事柄に関する認識である、と語りかける。傘を差す行為は、哲学のとば口である。雨から身体を守るその行為は、よく生きようとする一つの努力である。大文字山の斜面が迫る法然院は鹿ケ谷にあった。鹿ケ谷は、平清盛に反旗を翻した俊寛僧都の山荘があった場所である。平氏を倒す俊寛らの陰謀は失敗に終わる。清盛は反平氏に傾いた後白川法皇を幽閉すると、一足飛びに権力の支配者となったのであるが、この鹿ケ谷の陰謀は、平家にとって没落の引き金でもあった。強権者平氏打倒の声が全土に上がると、平氏は源氏軍に富士川で敗れ、倶利伽羅峠で敗れ、一の谷で敗れ、逃げ帰った屋島で敗れ、追い詰められた壇ノ浦で海が口を開いて待っていた。こきりこ節の、波の屋島を遁れ来たのは、平家の落人である。昼に寄った蕎麦屋のラジオからこきりこ節が流れていた。ゆっくり唄えば唄うほど、平安の尻尾に触れるような思いのする謡である。こきりこ節の後半は、平家落人と村娘の話に転じる。娘十七八大唐(赤米)の藁じゃ 打たねど腰がしなやかな。想いと恋と笹舟にのせりゃ 想いは沈む恋は浮く。イロハの文字に心が解けて 此身をせこ(背子)に任せつれ。かぞいろ(父母)知らで一人の処女(なじょ)が いつしかなして岩田帯。向いの山に光るもんにゃ何んぢゃ 星か蛍か黄金の虫か。今来る嫁の松明ならば さしあげてもやしゃれやさ男。漆千杯朱千杯黄金(きん)の鶏一番(ひとつがい)。朝日かがやき夕日さす三つ葉うつ木の樹の下に。色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ。憂ゐの奥山今日越えて 浅き夢みし酔ひもせず。哲学の道の疏水には、源氏蛍と平家蛍が生息している。いまはまだ、両とも冷たい水の底である。

 「いずれにしても、いわば人生の余白に生きるべく運命づけられていた。」(ジャン・グルニエ 井上究一郎訳『孤島』筑摩叢書1991年)

 「森林のセシウム量変わらず 濁り水に比較的高い濃度」(平成26年12月7日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)