ノートルダム女子大に差し掛かる下鴨本通の歩道で、四五才の男の子どもが仁王立ちに踏ん張り、七八メートル先にいる二十三四の男に向かって、「こっち来い」と叫んでいる。男は子どもの父親か、年の離れた兄弟か、あるいは面倒をみている身内筋の者のような様子をしている。子供は腕や首をふらふらゆすり、「こっち来い」と云いながら、足を止めて立つ男に、一二歩近寄って立ち止まる。それを見た男は、「早よ行くで」と子どもに云って歩き出す。子どもの云う「こっち」が、どこを、何を指すのかを知っている男は、子どものいるそっちへは行かない。子どもが男に従えば、子どもの云う「こっち」という位置そのものが子どもの意に反し、元の位置からずれていく。北山通を越えて下鴨本通を上ると、西山にぶつかる。男が背中を向けていた方角であり、子どもが「こっち」とした方の先である。西山の山裾に沿って西に行くと、深泥池(みどろいけ)が現れる。昭和二年に天然記念物の指定を受けた人の手の入らない池である。西山は池の南側に当たり、北をケシ山が、東を高山が池を囲んでいる。開いている西の住宅地から伸びた道が深泥池に突き当たると和菓子屋の角で直角に曲がって池に沿い、くねるように東に進み、京都バスの博愛会病院前停留所の前でケシ山に入る道と、そのまま池に沿う道とに分かれる。博愛会病院は、そのまま池に沿った道の先にある。博愛会病院前の平日のバスの運行は、岩倉村松行が、六時に一本、七時に二本、八時に一本、九時に二本、十六時に二本、十七時に一本、十八時に二本、十九時に一本、二十時に一本、二十一時に一本、二十二時に一本で、国際会館まで行は、七時に一本、八時に一本、十時に一本、十一時に一本、十二時に一本、十三時に一本、十四時に一本、十五時に一本である。枯れたものが淵を覆っている池の水面に、鴨が五六羽浮かんでいた。鴨は羽を光らせ、水の中に頭を潜らせていた。『今昔物語集』に、この池の鴨を射殺す話が出て来る。その全文はこうである。「鴨ノ雌(メドリ)雄(ヲドリ)ノ死セル所ニ来タリシヲ見テ出家セル人ノ語(コト)第六。今ハ昔、京ニ一人ノ生侍(ナマサブラヒ)有ケリ。何レノ程ト云フ事不知(シラ)ズ、家極テ貧クシテ、世ヲ過スニ便(タヨリ)无(ナ)シ。而(シカ)ル間、其ノ産シテ専(モハラ)ニ完食(シシノジキ)ヲ願ヒケリ。夫、身貧クシテ完食(シシノジキ)ヲ難求得(モトメエガタ)シ。田舎ノ辺(ホトリ)ニ可尋(タヅヌベ)キ人モ无(ナ)シ、市ニ買ハムト為(ス)レバ、其ノ直(アタヒ)无(ナ)シ。然レバ心ニ思ヒ繚(アツカヒ)テ、末ダ不明(アケ)ザル程ニ、自ラ弓ニ箭二筋許(バカリ)ヲ取リ具シテ家ヲ出ヌ。池ニ行テ池ニ居タラム鳥ヲ射テ、此妻ニ令食(クハシメ)ムト思故ニ也。「何方ニ可行(ユクベ)キニカ有ラムト」思ヒ廻スニ、「美ゝ度呂池コソ人離タル所ナレ。其ニ行テ伺ハムト」思ヒ得テ行ケル。池ノ辺ニ寄テ草ニ隠レテ伺ヒ居タルニ、鴨ノ雌雄(メドリオドリ)、人有トモ不知(シラズ)シテ近ク寄来(ヨリキタリ)タリ。男此レヲ射ルニ雄ヲ射ツ。極テ喜ク思テ、池ニ下テ鳥ヲ取テ、忩(イソギ)テ家ニ返ルニ、日暮ヌレバ夜ニ入テ来レリ。妻ニ此ノ由ヲ告テ喜ビ乍(ナガ)ラ、「朝(ツト)メテニ調美シテ妻ニ令食(クハシメ)ム」ト思テ、棹ノ有ルニ打懸テ置テ臥(フシ)ヌ。夫、夜半許(バカリ)ニ聞ケバ、此ノ棹ニ懸タル鳥フタゝゝトフタメク。然(シカ)レバ「此ノ鳥ノ生キ返タルカト」思テ、起テ火ヲ燈シテ見レバ、死タル鴨ノ雄ハ死乍(シニナガ)ラ棹ニ懸テ有。傍ニ出タル鴨ノ雌有リ。雄(ヲドリ)ニ近付テフタメク也ケリ。早(ハヤ)ウ、昼ル池ニ並テ喰(クラヒ)ツル雌(メドリ)ノ、雄ノ射殺シヌルヲ見テ、夫ヲ恋テ、取テ来タル尻ニ付テ、此ニ来ニケル也ケリト」思フニ、男忽(タチマチ)ニ道心オコリテ、哀ニ悲キ事无限(カギリナ)シ。而(シカ)ルニ、人ノ火ヲ燈シテ来レルヲ不恐(オソレ)ズシテ、命ヲ不惜(オシマ)ズシテ夫ト並テ居タリ。此ヲ見テ男ノ思ハク、「畜生也ト云ヘドモ、夫ヲ悲ブガ故ニ、命ヲ不惜(オシ)マズシテ此(カ)ク来レリ。我レ人ノ身ヲ受テ、妻ヲ悲ムデ鳥ヲ殺スト云ドモ、忽(タチマチ)ニ此(カ)ク完(シシ)ヲ令食(クハシメ)ム事」ヲ慈(ウツクシビ)テ、寝タル妻ヲ起シテ、此ノ事ヲ語テ此レヲ令見(ミシ)ム。妻亦此レヲ見テ悲(カナシブ)事无限(カギリナ)シ。遂ニ夜明テ後モ、此ノ鳥ノ完(シシ)ヲ食フ事无(ナ)カリケリ。夫ハ尚此事ヲ思フ、道心深クオコリニケレバ、愛宕護ノ山ニ貴キ山寺ニ行ニ、忽(タチマチ)ニ髻(モトドリ)ヲ切テ法師ト成ニケリ。其後、偏(ヒトヘ)ニ聖人ト成テ懃(ネムゴロ)ニ懃(ツト)メ行(オコナヒ)テナム有ケル。此ヲ思フニ、殺生(セツシヤウ)ノ罪重シト云ヘドモ、殺生ニ依テ道心ヲオコシテ出家ス。然(シカ)レバ皆縁有ル事也ケリトナム語リ伝タルトヤ。」(『日本古典文學大系』岩波書店1963年刊)人間に殺された雄鴨を追って人家に近づいた雌鴨の行為は純粋である。それに比べ、侍の行為の様は、動機を他事に求めた得手勝手な振舞いとして雌の鴨の目に映るのではないか。金がなくて産後の肥立ちの悪い妻に食わせる肉を買うことが出来ず、人里離れた池で鴨を殺し、その殺した雄鴨を慕い来た雌鴨を見て憐れ悲しみ、殺生の罪を背負って出家する。ある親子三人のテレビ広告があった。若い父親と母親と左右の手を繋ぎ、子どもが笑いながら前を向いて歩いている。父親と母親は後ろ向きで歩きながら、子どもに従っている。父親も母親も子どもと同じように、にこやかに笑っている。何を売らんがための広告だったか憶えていない。子どもの云う「こっち」に、その両親は背を向けながら付き従って行くのである。

 「しかし、読者も御承知のように、『鼠はまだ生きている』の中でのアフォリズムは、細部以外はすべて仮定であり、冗語である、といっているのである。このあたりのことを分析すれば、いくらも分析はできる。だが、それをして何になろう。したからといって、何の面白みもないのだ。そんないい方をすると、私たちは誤解するのだ。簡単に分かることはよした方がよいのだ。」(「黄金の女達」小島信夫『私の作家遍歴Ⅰ』潮出版社1980年)

 「不通区間29~0.07マイクロシーベルト 常磐線空間線量」(平成27年3月28日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)