賀茂川沿いを入り口まで続く欅並木が色づきはじめた京都府立植物園の林の中の小流れのきわに、町なかでは見かけない釣舟草が咲いていた。『日本大歳時記』(講談社1983年刊)には、「初秋の頃、茎の先に花梗を伸ばし、淡紅色の花を釣り下げる。舟を釣ったように見えるところからその名があるが、「法螺貝草」の名のように花は法螺貝に似ている。」とある。が、実際に見る花の姿は、「ゆびはめぐさ」の別名もあるというが、先がくるりと丸まった細長い帽子のようでもある。が、釣舟草を詠んだ俳句は、その名の通りの「舟」を頭に浮かべている。釣舟草揺れて木漏れ日漕ぐごとく 有賀芳江。「此日にノアとノアの子セム、ハム、ヤペテおよびノアの妻と其子等の三人の妻諸倶(もろとも)に方舟にいりぬ 彼等および諸(すべて)の獸其類(そのるい)に從ひ都(すべ)て地に匍(は)ふ昆蟲(もの)其類(そのるい)に從ひ諸(すべ)ての禽(とり)卽(すなは)ち各様(もろもろ)の類の鳥皆其類(そのるい)に從ひて入りぬ 卽(すなは)ち生命(いのち)の氣息(いき)ある諸(もろもろ)の肉なる者二宛(ふたつづつ)ノアに來りて方舟にいりぬ 入りたる者は諸(もろもろ)の肉なる者の牝牡(めお)にして皆いりぬ神の彼に命じ給へるが如しエホバ乃(すなは)ち彼を閉置給(とぢこめたま)へり 洪水四十日地にありき是(ここ)において水增し方舟を浮(うか)めて方舟地の上に高くあがれり 而(しか)して水瀰漫(はびこ)りて大(おほひ)に地に增しぬ方舟は水の面に漂へり 水甚(はなは)だ大(おほひ)に瀰漫(はびこ)りければ天下の高山皆おほはれたり 水はびこりて十五キユビトに上りければ山々おほはれたり 凡(およ)そ地に動く肉なる者鳥家畜獸地に匍(は)ふ諸(すべて)の昆蟲(もの)および人皆死ねり 卽(すなは)ち凡(およ)そ其鼻に生命(いのち)の氣息(いき)のかよふ者都(すべ)て乾土(くが)にある者は死ねり 斯(かく)地(つち)の表面(おもて)にある萬有(あらゆるもの)を人より家畜(けもの)昆蟲(はふもの)天空(そら)の鳥にいたるまで盡(ことごと)く拭去(ぬぐひさ)り給へり是(これ)等は地より拭去(ぬぐひさ)られたり唯(ただ)ノアおよび彼とともに方舟にありし者のみ存(のこ)れり 水百五十日のあひだ地にはびこりぬ」(『旧約聖書』「創世記」第七章)露のせて釣舟草の夜明けかな 矢島渚男。釣舟草の「舟」に乗っているのは人や鳥や獣ではなく、夜中におりた露のひと雫である。「生死(しょうじ)の苦海ほとりなし、ひさしくしづめるわれわれをば弥陀弘誓(ぐせい)のふねのみぞのせてかならずわたりける」(「高僧和讃親鸞)縋(すが)る岸もなく苦海のようなこの世で南無阿弥陀仏を唱えれば、必ず菩薩の衆生を救う誓いの舟で極楽浄土へ行くことが出来る、と親鸞は教える。息災や釣舟草が舟おとし 宮坂静生。息災とは仏の力で災いがなくなることをいう。川のほとりに生える釣舟草が己(おの)れの「舟」を落とす先は、川の流れである。釣舟草の花が法螺貝でも帽子でもなく、まさしく「舟」であるのは、茎を離れ落ちた花が水の流れに乗って川を下る時である。

 「(メフィスト)闇から光が生まれますと、傲慢(ごうまん)な光は母なる闇と、空間の争いをはじめました。どうしても光に勝ち目がないのは、物体にはりついているからです。物体から流れ出て、それを美しく見せる。するとべつの物体が行く手を邪魔だてする。これでは永くはもちますまい。遠からず、光は物体とともに滅びますな。」(『ファウストゲーテ 池内紀訳 集英社1999年)

 「県産モモ…低い購入意向 風評根強く影響、福島県が消費者調査」(令和4年10月13日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)