昭和五十四年(1979)に公開されたアンドレイ・タルコフスキーの映画『ストーカー』では、ある国のある場所に「何事」かが起り、その場所に派遣された軍隊が一人も戻って来ず、その地域は「ゾーン」と呼ばれ立入り禁止となる。が、いつしかその「ゾーン」には人の望みを叶えてくれる「部屋」があるという噂が立ち、やがて「ゾーン」に密入しその「部屋」まで案内して金を得る「ストーカー(密猟者)」が現れる。その日、一人の「ストーカー」が警備の銃撃をかい潜り、一人の物理学者と一人の小説家を「ゾーン」の中に忍び込ませる。この「ゾーン」はかつて発電所があった場所のようであるが、いまは建物が崩れ落ち、一面草に覆い尽くされ、錆びた戦車が点々と残っている。「ストーカー」は足を進める時、いちいち白い包帯を結びつけたナットを草の中に放り投げ行く方角を決める。それは「ゾーン」には目に見えない複雑な罠が張り巡らされているからだと二人に説明するが、「ストーカー」の警告を無視し勝手に前に進んだ小説家は、「止まれ」という「天の声」が聞こえ、怯えて後戻りする。廃墟に突如瀧が現れたり、風が吹き荒れたり、霧が出たり、見失った物理学者が元の場所で見つかったり、その罠を目の当たりにした二人は「ストーカー」の指示に従い、現れた狭いトンネルのような場所を抜け、肩まで水に浸かり、細かい土埃に覆われた無数の瘤の床のある場所を出ると、とうとう「部屋」の入口に辿り着く。この「部屋」には前にヤマアラシと呼ばれた「ストーカー」が入ったことがあり、そのヤマアラシは町に戻ると忽ち大金持ちになったが一週間後に自殺してしまう、なぜか。二人を導いた「ストーカー」が小説家から「部屋」に入ったことがあるかと訊かれると、「ストーカー」はそれを応えるのはタブーだと云って拒否する。二人のやり取りの傍らで物理学者は提げて来た鞄から核爆弾を取り出し、「部屋」を犯罪に利用される前に破壊するのだと云うと、「ストーカー」は物理学者に掴みかかり、小説家が「ストーカー」を引きはがし、こう云う。あのヤマアラシは来る途中に通った肉挽き機と呼ばれるトンネルの中で死んだ弟を生き返らせるために「部屋」に入った。が、弟は生き返らず、町に戻ったヤマアラシは大金持ちになってしまう。それこそがヤマアラシの隠れた欲望だったのだ。ヤマアラシは「部屋」に入ったことで自分の本性が晒され絶望したのだ。行き詰まった私も何かを求めてここにやって来たのだが、いま聞いた物理学者のもの云いも嘘臭いし、「ストーカー」が「部屋」が地上の最後の希望だと云って我々の欲望につけ込みここに導く行為も偽善である。「部屋」に入れば、皆んな己(おの)れの本性がバレるのだ。突如三人の前に雨が降って来る。物理学者は爆弾をばらし、三人は「部屋」の前で座り込む━━。町に戻った「ストーカー」は妻に、インテリは信心がないと訴え、眠りに就く。二十九歳で出家した釈迦は、幾人かの師の門を叩いては失望し、最後の師の教えの肉体断食の苦行でも悟りを得ること叶わず、川であばらの浮いた身を浄め、村の娘が差し出した乳糜(にゅうび、乳粥)を口に入れ、菩提樹の下で思いを鎮めると忽ちに悟り、無常、苦の迷いが解け、真理を得たといい、この日、十二月八日に寺ではその成道を祝う成道会、臘八会が行われる。上京五辻通六軒町西入ルの千本釈迦堂大報恩寺ではこの十二月七日八日に「大根焚き」の振る舞いがある。千円の引換券を渡して手渡された椀の中には、厚く切った大根が三切れと油揚げが一枚、昆布と醤油の煮汁は甘い。大根の円い切り口は、梵字を印す鏡の見立てであるという。そうであれば「ゾーン」の「部屋」に入らずとも大根の鏡は自ずと本性を映し出し、この日がそうであるのであるから、釈迦のように「悟り」は食後にやって来る。普段は蔀戸(しとみど)を閉ざしている国宝の本堂に入ると、表の煮汁の匂いが漂っていた。

 「<あの人>は司祭の列の横を眼を伏せて通り過ぎようとしたが、司祭の側はサボテンの並木で、すれ違うのは無理だった。<あの人>は道をゆずり、一時川の洲へ下りた。アイロザは列の一番うしろを歩いていたが、痩せて険しい顔が、空から舞い下りた鳥のように、パピルスのむこうにひかえているのを見た。」(『或る聖書』小川国夫『小川国夫作品集 第四巻』河出書房新社1975年)

 「富岡、段階的な避難解除の方針 2地区で主要道など除染遅れ」(令和4年12月9日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)