烏丸通に八坂神社御手洗井といういまも水の湧く井戸がある。その井戸は烏丸蛸薬師から下がりあるいは烏丸錦小路から上がったところにあり、通りに面して石の鳥居が立ち、石の井筒の上に竹を組んだ蓋がしてあり、普段は柵を閉じているが、祇園祭の宵々山の七月十五日から還幸祭の二十四日の間は誰でもこの井戸水を飲むことが出来る。以前は下がった烏丸四条の長刀鉾に乗る稚児が井戸開きの日にこの水で手を清めたという。この御手洗井に近い蛸薬師通の一筋北の六角通にあった井戸の話が『今昔物語集』にある。「今は昔、世に白井君(しらゐのきみ)と云ふ僧ありき。此の近くぞ失せにし。其れ本(もと)は高辻東洞院に住みしかども、後には烏丸よりは東、六角よりは北に、烏丸面(おもて)に、六角堂の後合(うしろあはせ)にぞ住みし。其の房に井を掘りけるに、土を投げ上げたりける音の、石に障(さわ)りて金の様に聞えけるを聞きつけて、白井君、此れを恠(あや)しんで寄りて見ければ、銀(しろかね)の鋺(かなまり、金属の器)にて有りけるを、取りて置きてけり。其の後に異銀など加へて小さやかなる提(ひさげ、つると口のついた容器)に打たせてぞ持ちたりける。而(しか)る間、備後守藤原良貞と云ふ人に、此の白井君は事の縁有りて親しかりし者にて、其の備後守の娘共、彼の白井が房に行きて、髪洗ひ湯浴みける日、其の備前守の半物(はしたもの、下女)の、その銀の提(ひさげ)を持ちて、彼の鋺(かなまり)掘り出だしたる井に行きて、その提(ひさげ)を井の筒に居(す)ゑて、水汲む女に水を入れさせける程に、取りはづして此の提(ひさげ)を井に落し入れてけり。其の落し入るるをば、やがて白井君も見ければ、即ち人を呼びて、「彼れ取り上げよ」と云ひて、井に下(おろ)して見せけるに、現(あら)はに見えざりければ、沈みにけるなめりと思ひて、人を数(あま)た井に下して捜(さぐ)らせけるに、無かりければ、驚き恠(あや)しんで、忽(たちま)ち人を集めて水を汲み干して見けれども無し。遂に失せ畢(は)てにけり。此れを人の云ひけるは、「本(もと)の鋺(かなまり)の主の、霊にて取り返してけるなめり」とぞ云ひける。然(しか)れば、由無き鋺(かなまり)を見つけて、異銀さへを加へて取られにける事こそ損なれ。此れを思ふに、定めて霊の取り返したると思ふが、極めて怖しきなり。此(か)くなむ語り伝へたるとや。」(巻第二十七、第二十七「白井君、銀の提を井に入れて取らるる語(こと)」)昔、世間で白井君と呼ばれている僧がいた。近ごろ亡くなってしまった人である。以前は高辻東洞院に住んでいたのだが、後に烏丸小路の東、六角小路の北、烏丸小路に面した六角堂と背中合わせのところに住んでいた。ある日僧の房で井戸を掘っている時、投げ上げた土が近くにあった石に当り金属音を立てたの耳にした白井君は不審に思い、近寄って見ると、銀で出来た鋺(かなまり)ので拾っておいて後に別の銀を加えて小さな提(ひさげ)に作りかえて使っていた。そんな折り、この白井君と何かの縁があって親しくしていた備前守藤原良貞という人の娘たちがある日、白井君の房を訪れ、髪を洗ったり湯浴みをしていた。その時ひとりの下女がこの銀の提(ひさげ)を持って例の鋺(かなまり)を掘り出した井戸に行き、提(ひさげ)を井桁の上に置き、水汲み女から水を受け取ろうとして受け損ねて提(ひさげ)を井戸の中に落としてしまったのだ。たまたまその様子を見ていた白井君はすぐ人を呼んで「あの提(ひさげ)を拾い上げよ」と命じ、人を中に降ろしてして捜させたがどこにも見当たらず、底に沈んでしまったに違いないと何人もの人にも降りてもらって捜させたが、どうしても見つけることが出来なかった。白井君はそんなはずはないと恠(あや)しく思い、遂には人を集めて井戸の水を汲み干して底を捜したのだが見つからなかった。本当に消え失せてしまったのである。このことを人々は「もとの鋺(かなまり)の持ち主が霊となって取り返しに来たのだろう」と噂をした。そうだとすればたまたま見つけた取るに足らない鋺(かなまり)を見つけ、別の銀を加えて取り上げられてしまったとは馬鹿げた損をしたものだ。白井君も同じように考えた、きっと霊が取り返して行ったのだ、何とも怖ろしいことだ、とこのように語り伝えられているということである。八坂神社御手洗井は、この井戸と同じ水脈に違いない。

 「一個目の卵は白い。わたしはエッグスタンドの位置をちょっとずらし、窓から差し込んでお盆の上に当たっている光の中に入れる。光はお盆の上で明るくなったり、翳ったり、また明るくなったりしている。卵の殻はなめらかだけど、ざらついている。日光が当たり、カルシウムの細かい粒子が月のクレーターのように浮かび上がる。不毛の土地を思わせる光景、でも完璧だ。」(『侍女の物語マーガレット・アトウッド 斎藤英治訳 新潮社1990)

 「デブリ、8月にも試験取り出し 東電第1原発2号機 廃炉の最難関」(令和6年5月31日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)

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