天の川ここには何もなかりけり 冨田拓也。何もない、というもの云いに出鼻を挫(くじ)かれる。何かあるだろうと考えていた者は、話を進めることが出来ない。この俳句の「ここには」のここは、天の川とは限らないが、天の川のことであるとすれば、天の川あるいは銀河と名づけらげたものは、己(おの)れが自ら光る恒星の集まりであり、そこに星があることは光りとして確認できる以上、否定出来ない事実である。それでも「何もなかりけり」という云いは、その構造においては、天の川の一つの星に近づけば近づくほど、別の星々との間隔は離れ、元のように何もない空間が広がるばかりであるということであり、近づいたはずの天の川は、依然として頭上に横たわっているのである。そうではなく、「ここ」を天の川としなければ、「ここ」は生きて在る地球上のどこか、あるいは死後ということになる。日常の生活で、何もないという云いは誰でもする。ある店に行ったけれども、欲しいものは何もなかった。有名な観光地に行ったけれども、何もなかった。己(おの)れの生れ育ったところは、何もないところである。何かはあるが、目新しいもの、欲求を満たすもの、あるいは面白いというような感情を揺さぶるものはないというのである。ものごとはあるけれども、そこには何もない。悉(ことごと)くあるものの価値を否定し続けて行った先で待つのは、ニヒリズムである。仏教のいうところの「空」は、現象はあるが、その実体はないと思え、ということであるが、冨田拓也の「何もなかりけり」には、悟り澄ましたニヒリズムのにおいがしないでもないが、ただ天の川を天上、死の後(のち)に行くところとして素直に凡庸に詠んでいるのかもしれない。死後は何もない、というのは一つの考えである。これを正しいと思うことも、一つの考えであり、誤りであるとすることも一つの考えである。が、何もないということ、何もない状態、何もない状況を想像することは難しい。暗闇は、そのあるなしの判断が出来ない状態である。何もないことで満ちているという云いは、言葉の遊びである。「空」をいう仏教は、何もないこととしての「無」へは向かわない。公案の書『無門関(むもんかん)』はいう。「三百六十の骨節、八万四千の毫竅(ごうきょう)を将(も)って、通身に箇(こ)の疑団を起こして箇(こ)の無の字に参ぜよ。昼夜提撕(ていぜい)して、虚無の会(え)を作(な)すこと莫(なか)れ。有無の会(え)を作(な)すこと莫(なか)れ。(三百六十の骨節と八万四千の毛穴を総動員して、からだ全体を疑いの塊にして、この無の一字に参ぜよ。昼も夜も間断なくこの問題をひっ提げなければならない。しかも、決して虚無だとか有無だとかいうようなことと理解してはならない。)」(『無門関』西村恵信訳注 岩波文庫1994年刊)犬にも仏性(ぶっしょう)があるのか、の問に、趙州(じょうしゅう)禅師は「無」と応えるのであるが、別の時には「有」と応え、その仏性、禅の悟りは身体を使って考え得よ、と云うのである。しかし、病の苦痛を味わい、死後を恐れる心を克服出来ない者もいる。その者もまた、何もないという死後を想像することは難しいのであり、極楽浄土、あるいは地獄があると思うほうが易(やさ)しいのである。克服できない欲求は、死後浄土を求め、誰でも念仏阿弥陀仏を唱えるだけで極楽往生出来ると教えられれば、一も二もなく飛びついたのである。もう一度云えば、何もないことを想像することは難しい。草木国土悉皆成仏という天台宗の教えがある。この世にある草木の、生まれ花咲き、実をつけ枯れる様がそのまま成仏の様であり、あるがまま、そのまま何もせずとも成仏出来るという、この本覚思想と呼ばれるものは、死後の、何もないことの想像を、もっとも遠ざけた思考である。有ることを説明するよりも、何もないと突き放すもの云いは、容易である。死がいまよりも身に迫り、絶えず死を思って暮らさねばならぬ者らに、仏教者は、死後何もないとは決して云わなかった。あるひは思ふ天の川底砂照ると 斎藤空華。

 「しかし、もっとも不可解で神秘的な現象は、素粒子という、構造さえもたないものが、にもかかわらず、振動状態にみずからをおくということである。振動状態にあるとき、素粒子は<適当な状態>にあるということである。」(大岡信『彩耳記』青土社1972年)

 「「海洋放出」に波紋 第1原発トリチウム水、増え続け処分に苦慮」(平成29年7月16日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)