下京の梅雨の紅殻格子かな 室積徂春(むろづみそしゅん)。「上京」でも「中京」でも「右京」でも「左京」でもない、明治十九年(1886)生まれの室積徂春の口から出る「下京」は、恐らく「中京」も「右京」も「左京」も行政区としてまだ存在しない「上京・下京」時代の「下京」の町である。「小雨」や「雪」や「日照り」は写真にすることが出来るが、紫陽花が写り込んだりしていなければ時間を含む「梅雨」は写すことが出来ない。が、この句の印象は、紅殻格子に焦点が絞られる限りカレンダーに使われる季節の写真とそう違いがない。町角を曲れば梅雨も曲り降り 上野泰。人を喰ったような句である。が、これはひとつの試みである。たとえばまだ若い作者は、曲り角の向こうに別の世界を夢見ている。が、いざ曲ってみれば、その町も梅雨のさ中である。角を一つ曲ったとしても、梅雨の季節から逃れることは出来ないのである。若い作者が別の己(おの)れを夢見ながら、いまの己(おの)れから逃れられないように。梅雨晴に加はる星の夥(おびただ)し 相生垣瓜人(あいおいがきかじん)。下京の町中から夜空を見上げても、そこに夥しい星を見ることはない。が、星は空のものとは限らない。下京四条堀川の交差点の角に「雨庭」と名づけられた空間がある。石を置き、小石を敷いて、蛇の髯や笹や山桜桃梅(ゆすらうめ)や錦木などが植わっている。下水に直接流れ込む雨水を、少しでもこの場所に吸わせるのだという。車の行き交う交差点では草木を自然に成長させることは望めず、そうであればこの空間が景色になじまぬ、取ってつけたようなものにならざるを得ないのはいたしかたない。が、詩的な名前の「雨庭」が取ってつけたような空間だとしても、梅雨が晴れて朝日の上る頃には、その「雨」の粒が星の如くに輝いて来るのである。

 「等価のつとめをしている商品の物体は、つねに抽象的に人間的な労働の体現として働いており、しかもつねに一定の有用な具体的労働の生産物である。したがって、この具体的労働は、抽象的に人間的な労働の表現となる。例えば、上衣が、抽象的に人間的な労働の単なる実現となっているとすれば、実際に上衣に実現されている裁縫が、抽象的に人間的な労働の単なる実現形態として働いているわけになる。」(『資本論カール・マルクス 向坂入逸郎訳 岩波文庫1969年)

 「6月にも「廃炉」着手へ 福島第2原発全4基、楢葉は了解方針」(令和3年5月22日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)