梅にはまだ早いこの時期、京都府立植物園を巡り歩いても花はほとんど見かけない。まったく見かけないというわけではないのは、薔薇園の背の高く育った薔薇のひとつは枝に濃い桃色の花をつけ、椿園の雪中椿は白く咲き、地べたの水仙に体を伏せるようにして人がカメラを向けているからであるが、そうであっても目に映るのは、何もない地に挿したあるいは樹の幹につけた名札の寒々しさであるからである。植物園にはふたつの池があり、どちらにも茎を折った枯蓮が刺さったように水面に浮いている。こういう荒寥とした様にカメラを向けていると、東京上野の不忍池を思い出す。当時住まいは谷中墓地そばの上野桜木にあり、不忍池までは一キロ足らずだった。その不忍池の枯蓮にもカメラを向けたことがあったが、いま思い出すのは、その住まいの家主夫婦の老婆ことである。家主は二階に住まいがあって、その老婆は留守中に急な雨が降ったりした時干し物を軒下に移してくれたりしていたのだが、ある日、隣りの部屋を借りていた浅草寺の前で車曳きをしているという金髪頭の若造から、おばあちゃんボケてんだよと罵られた。その若造は、何を植えてもいいと云われ庭に植えていた野菜を全部老婆に引き抜かれてしまったというのである。若造の部屋の前の庭は普段から草ぼーぼーで、家主の老婆は見かねて抜いたのであろう。老婆は、部屋を借りてる身分で何を云やがる出ていけとくってかかるような言葉を吐いて庭を出て行った。そのことがあった翌月、家賃を持って二階に上ると出て来た老婆は、こちらに向かってどちらさまでしょうと云うほど脳の認知がおかしくなっていた。それから間もなく金髪頭の若造が戸を叩き、庭を通らせて欲しいと云って来ると、同棲していたのであろう若い女が何度か荷物を抱え窓の外を往復した。それから、隣りには別の若い女の姿があり、胸の辺りを汚したままの同じ服を着た家主の旦那さんを近くのコンビニエンスストアの前で見かけるようになり、コップ酒を手に持った旦那さんは目が合うと笑って挨拶をして来るのだった。枯蓮のうごく時きてみなうごく 西東三鬼。枯蓮が一斉に動いたのは風のせいかもしれないが、その干乾びた葉をぶら下げた茎が動くのは風が動かす時だけとは限らない。句には風が吹いたとは詠んでおらず、それが省略の妙だともいえないこともないが、枯蓮が動いたのは、その動く時に至ったからだと三鬼は詠んだのだ。枯蓮が動いた時、それは待ちかねたように動いたのである。ひとつ枯れかくて多くの蓮枯れぬ 秋元不死男。

 「「そうよ、きっとこれは茱萸(ぐみ)の木だったのよ」茱萸の木は枯れても茱萸の木だというのではなくて、枯れてしまえばもうなんの木でもない、というような、はかなげな口ぶりであった。そうして、女は身をちぢめるようにして去っていった。」(『季節のない街』山本周五郎山本周五郎全集 第十四巻』新潮社1981年)

 「処理水海洋放出、春から夏ごろ 政府方針、開始時期に幅持たす」(令和5年1月14日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)