哲学の道は、今出川通銀閣寺橋と冷泉通の若王子橋の間の琵琶湖疏水分流に沿った一・五キロの径とされている。この若王子橋が架かる熊野若王子神社の裏山に「那智の滝」がある。「正東山若王子(しやうとうさんにやくわうじ)は永観堂の北に隣る。天台宗にして修験道を兼職し、聖護院に属す。本社の熊野三所権現宮は後白河法皇の勧請なり。傍に若一王子を鎮座す。観音堂那智山の本地十一面観世音を安置す。(洛陽観音廻りのその一なり)南の山下に滝あり。(那智の滝をうつすとぞ。当山むかしは宮殿壮麗にして殊に桜花の名所なり。応仁の兵火にかゝりてことごとく荒廃に及ぶとなん)」(『都名所図会』)天台宗「若王寺」には熊野権現宮があり、観音堂若一王子天照大神の別号)の本地である十一面観音が祀られていた。が、明治維新神仏分離で「仏」が消え失せ、正東山若王子は熊野若王子神社と改まったのである。「那智の滝」は正式には「千手乃滝」といい、境内前の道に沿って真ん中に段をくり抜いた緩いコンクリートの坂を上れば、すでに山の中で、すり減った石段の先の鳥居に瀧宮神社とあり、その洞の左を行けば木立ちの下や崩れかけた狭い石段や曲がりくねるセメントの小径にも数日前に降った雪が残っていて足元の崖下に水の流れが見えてくる。「千手乃滝」はその幾曲がりかの先にあった。手前にブリキの蝋燭台と岩の上に石の不動明王が立ち、三メートル余りの崖の上から細い水の流れが岩肌を下っていて、これが「那智の滝」かと顔を上げれば、鬱蒼とした穴の底にでも落ちたような木の枝に縁どられた曇り空が見えたのである。滝の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半。崖の上から水の落ちる様が滝であるが、その「滝」の上に水が現れ落ちるという。この「滝」とは、その一瞬前の水が崖から落ちる様のことである。次の間にときどき滝をかけておく 中尾寿美子。床の間のあるその室に時々滝の掛け軸を下げる、ということをただ「滝をかける」と詠んでしまうと、俄かに異様さが立ち現れ、床の間の「滝」から水が流れ出す。後ろをやって来た夫婦者らしい中年の二人連れの夫の方は、朱塗りの鳥居を潜って洞に熱心に手を合わせ、滝に向かっても手を合わせていたが、女は手を合わせることもせず夫に背中を向け、いましがたそうしたように山の穴の底から空を見上げていた。冬滝の真上日のあと月通る 桂信子。

 「芸術でことに大切なのは事物の間の関係です。そのなかで自分が生きている光と空間をものにしようとする努力は、ただそれらについてもっと意識的になるだけであるにせよ、まさしく自分が生きているこの空間とこの光をもっと深く把握することができそうな違った空間と光に触れたいという欲求を私に起こさせたのです。」(『画家ののノート』アンリ・マティス 二見史郎訳 みすず書房1978年)

 「6号機燃料取り出し延期 福島第1原発、洗浄追加で25年度上期に」(令和5年1月27日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)