生きるより死はなつかしく春彼岸 神蔵器。『今昔物語集』の巻第二十六、第二十二の「名僧、人の家に立寄りて殺さるる語(こと)」はこのような話である。「今は昔、京に生名僧(なまみやうぞう)して、人の請(しやう)を取りて行き、世を渡る僧有りけり。而(しか)るに、此の僧、然(しか)るべき所の請を得たりければ、喜びて行かむと為るに、車を否(え)借り得ざりければ、歩行(かちありき)にて行かむとするに、法服をして行かば、遠くて歩行の見苦しかりければ、懸衣(けのころも)にて、平笠など打着て、法服をば袋に入れて持たせて、「其の請(しやう)じたる所の近からん小家を借りて、法服をして寄らむ」と思ひて、行きにけり。然(さ)て、其の所の向なりける小家を、「然々(しかじか)」と云ひて借りければ、若き女主有りて、「疾(と)く入らせ給へ」と云ひければ、入りにけり。客人居(まらうどゐ)と思しき所の一間許(ばかり)有りけるに、莚を敷きて取らせたりければ、其こに居て法服をせんとて、冒被(かぶりかつ)ぎて居けるに、早う此の家には、若き女主の、法師の間男ぞ持たりけるを、実(まこと)の夫の雑色なりける男は、此れを伺はんとて、外へ行きぬる様にて、隣の家に隠て居て伺ひけるを、知らずして立ち入りたりけるに、僧の入りぬれば、此れを、「其れぞ」と思ひて、左右無く家へ行きけるに、僧の長(なが)むれば、大路の方より、若き男の糸気悪気(いとけにくげ)にて入り来るままに、妻(め)に向ひて、「汝、此れや虚言(そらごと)なりける。彼の女」と云へば、妻、「彼れは向殿の請の有りて、装束奉らんとて、立ち入られ給へる人ぞ」と云ひも敢へず、男、刀を抜きて走り寄りて、僧を捕へて最中を突きつ。僧、思ひ懸けずして、手を捧げて、「此は何に」と云へども、取り合ふべき力も無くて、突かれて仰様(のけさま)に臥しぬ。妻も、「穴奇異(あなあさま)し」と云ひて取り懸かれども、更に益無し。男、突くままに踊り出でて逃ぐるを、僧の童子の小童の有りける、漸く大路に出でて、「人殺して行く」と叫びければ、人捕へてけり。僧は突かれて後、暫く生きたりけれども、遂に死にけり。家より人来たりて、突きたる男をば、検非違使に取らせてけり。妻をも捕へて、検非違使に取らせてけり。男、▢問せられて、遂に獄(ひとや)に禁(いまし)められけり。実(まこと)に由(よし)無き事に依りて、三人の人なむ徒(いたづ)らに成りにける。此れを前生の宿報(すくほふ)の至す所ぞと有らめ。但し、世の人、上も下も、知らざらん小家などには、由無く白地(あからさま)にも立ち入るまじきなり。此(か)く思ひ懸けぬ事の有るなり。努々(ゆめゆめ)止(とど)むべしとなん、語り伝へたるとや。」昔、京に、名僧きどりで、人から請われると加持祈祷を施し、それを生業にしている僧がいた。そうしたある日、この僧が結構な身分のところからお呼びがかかり、喜び勇んで出かけようとしたところ、折り悪く牛車をつかまえることができず、歩いていくことにしたのであるが、法衣を身につけたまま遠くまで行くのは傍目にもみっともないと思い、普段着に平たい笠を被り、袋に入れた法衣を童子に持たせ、「お招きのあった家の近くに来たら、適当な民家の部屋を借りて法衣に着替えお寄りしよう」と思い、出かけたのである。そして、その招かれた家のそばまでやって来るとお誂えむきの民家を見つけ、「実はこれこれで」と理由を云って部屋を貸してほしいと頼むと、この家の主のような若い女は、「どうぞ、お入り下さい」と言葉を返してくれたので、僧はその家の中へ入った。女は客間のような一間に僧を案内し、莚を敷き延べてくれたので、早速その上に腰を下ろし、法衣に着替えようと童子に後ろから被せて貰っていたところ、実は、この家の若い女主には法師の間男がいて、この女の実の夫の雑色の身分の男がそのことを薄々感づいていて様子を探るべく出かけた振りをし、隣りの家に隠れ妻を見張っていたのである。そんなことは露知らず家に上がり込んだ僧を、男は「こいつだ」と思うと頭に血が上り、家に向かって飛び出した。着替えた僧が立って外を眺めていると、大路の向こうから若い男が血相を変え家に飛び込んで来るなり、自分の妻に向かって、「お前これでも嘘だと云うつもりか、この野郎」と喚くと、妻は、「このお坊様は、お向かいのお招きを受け、お召しかえになるためうちにお立ちよりなさった方ですよ」と云うのを最後まで聞かず、刀を抜いた男は駆け寄って僧を掴まえるとその体のど真ん中を突き刺した。僧は訳が分からず、両手を差し上げ、「何をなさる」と云ったが、手向かう力もなく、刺し突かれるとそのまま仰向けに倒れた。男の妻は、「ああ何てことを」と、夫に取り縋ったのであるが、後の祭りだった。男は僧を突き刺すとすぐさま身を踊らせるように外へ飛び出して行く。僧のそば使いをしていた小僧は、我に返ると大路に出て、「人殺しが逃げたぞ」と大声で叫び、それを聞いて駆けつけた者に男は捕らえられる。刺された僧は暫くの間意識があったが、息を引き取った。ある家の者が呼びに行った検非違使に犯人の男は引き渡され、この妻も同じ検非違使に引き渡され、それから男は尋問を受け、結局牢屋送りとなったのである。まったくもってつまらぬ理由で三人の人間が一生をふいにしてしまったものである。これも恐らくは前世の宿報によるものなのであろう。そうであっても、世の者は、身分の上下を問わず見ず知らずの民家などにみだりにほんのちょっとの間でも上がり込んではならない。このような思いがけないことも起こりうるのである。ゆめゆめそんなことはするな、と語り伝えていることである。話は悲劇であり喜劇であり不条理である。が、この話の最後に些(いささ)かのいたずらの如くこのような一文をほどこしてみたい。刺し殺された「生名僧」は「生名僧」とだけしか書かれていないのであるが、「暫く生きた」その死ぬ間際、こんなことがその頭を過った。「いつかこんな風に、不意に死を迎えることをどこかで思っていたかもしれない。いや、誰かに殺されることを心秘かに待ち望んでいたのかもしれない。なぜいまこう思うのか、自分でもよく分からぬが。」生きるより死はなつかしく春彼岸。

 「もう誰の墓でもよくて花吹雪」(遠藤陽子『遠藤陽子俳句集成』素粒社2021年)

 「制御棒収納箱の落下確認、福島第1原発1号機 内部動画を公開」(令和6年3月22日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)

 大谷本廟、大谷祖廟。